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~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

「気づき」と「成功体験」が要!場面緘黙克服の5つのきっかけ

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特別支援教室に連れて行かれた小学校三年生の二学期
(どうせここでも話せないんだろうなぁ・・・)
 
「いーよって、「良い」とも「いいよ、やらないよ」とも取れるねー」
(・・・・・あれ?もしかしてここの人達は・・・)
 
(私が話せないこと、知らないんじゃない・・・?)
ピシャァァァァ!!!
 
話せないことを知らない=ここでは話しても変に思われない、という気づきにより、
徐々に場面緘黙の症状が緩和されていきました。
 
 

 

学校なんて大嫌いだった

3歳から始まった場面緘黙が6年目を迎えた、小学3年生の2学期。
学校で話すことが出来ない私は、とにかく学校が嫌いでした。
 
場面緘黙の方の中には、話しかけられると嬉しいという方も多いのですが、
私は、話しかけられることに苦痛を感じるタイプでした。
(あくまでも私の場合です。話しかけられて、うまく答えられなかった時の相手の戸惑った顔を見るのが嫌でした)
 
友達もおらず、
朝の会も帰りの会も休み時間も給食も体育も、
座学以外の学校行事は全て嫌いでした。
 
私が話さないことを良いことに、
心無い言葉をぶつけてくる同級生もいました。
 
毎日毎日、ただ時が過ぎるのを待つばかり。
学校へ行っても、ちっとも楽しくないのです。
学校なんて、大嫌いでした。
 
 

ついに、張り詰めていた糸がプツリと切れてしまう

いつにも増して登校の足取りが重かった金曜日の朝。
自分でも、もう完全に遅刻していることがわかりました。
 
学校の門をくぐった先、
みんなが、朝の運動をしています。
 
目の前の光景を見た瞬間、突然、
私の中で、何かがプツリと切れました。
 
「(あ、帰ろう…)」
 
そう思い、学校に背を向け、
足早に家路へと向かいました。
今まで蓄積されていたストレスが、ここにきて一気に吹き出し、耐えられなくなってしまったのです。
 
ここにいたくない
 
その一心で、逃げるように、
学校を後にしました。
 
学校の門を出ようとした直前、
「あ、いた!」
と、年配の女性に声を掛けられました。
 
当時、彼女が何者なのかを知らなかった私は、
訳が分からずにいましたが、
彼女は特別支援教室の先生、T先生でした。
 
 

特別支援教室での「気づき」

T先生に連れられ、
私は特別支援教室へとやってきます。
 
そこには、3年生の私の他に、
2年生の女の子が一人、
6年生の女の子が二人いました。
少人数です。
 
私はこの教室に入った瞬間、
「(あぁ・・・私はここでも、何も話せないんだろうなぁ・・・)」
と感じていました。
全て諦めていました。
 
「場面緘黙」という症状を知らなかった当時の私。
話せないのは、自分が暗い性格だからだ、駄目な奴だからだ、と思っていました。
 
だからきっと、ここでも私は話せない。
どうせ私は話せない・・・と、自分を追い詰めていました。
 
ずっと下を向いたままだんまりだった私。
周りの子達が、気を遣って話しかけてくれますが、
私は固まったまま、抜け殻のようになっていました。
 
 
 
 
 
「何か描く?」
 
しばらくして、T先生が紙を持ってきてくれました。
 
描く・・・
 
少しだけ、心が動きました。
絵を描くことは、嫌いじゃない。
 
私はぼそっと、小さく「いーよ・・・」と呟きます。
それを聞いたT先生は楽しそうに言いました。
「「いーよ」ってさ!どっちにも取れるよね!「やるー!」って意味にも取れるし、「いいよ、やらないよ」って意味にも取れる!面白いよねー!」
他の女の子たちも「ホントだー!」「確かにね!」と、楽しそうに話し始めました。
 
私はその光景を見ながら、あることに気づきます。
(あれ・・・?もしかしてここにいる人達は・・・私が話せないこと、知らないんじゃない・・・?)
 
 

「気づき」と「出来た」という成功体験

私はもう一度、
「いーよ」と言いました。今度は、さっきよりも大きな声が出ました。
「やっぱりどっちの意味にも取れるよね!」
「面白いね!」
ニコニコと笑顔で受け入れてくれるT先生と女の子たち。
 
(やっぱり!みんな、私が話さない子だってこと、知らないんだ!)
 
当時の私にとって、とても衝撃的なことでした。
(私が話さない事を知らないんだ!じゃぁ、私が話しても変には思われない!笑っても、指摘されない!)
 
このことに気づいた私は、もっと大きな声で、笑顔で、「いいよー!」と答えました。
話しても「喋ったー!」とも言われない。
 
普通に接してくれる。
私が笑っても、「笑ったー!」と指をさされない。
この人達は、私が話さない事を知らない。
話せる・・・
私は今、話せている!!
 
場面緘黙という鎧が崩れていきます。
先ほどまでズタボロだった精神が、みるみる回復していくのがわかりました。
 
私が話せないと知らない人達だという「気づき」と、
話しても変に思われないという「気づき」、
 
これにより、
話す事が「出来た」という体験が、
大きな成功体験として強く残っています。
 
私は、特別支援教室の中でだけは、
場面緘黙が発動せず、楽しく人と会話することが出来るようになったのです。
 
 

克服のきっかけとなった5つの大切なこと

自分の事を全く知らない人達のところへ行くと、話す事が出来るという場面緘黙の方もいらっしゃいますが、
私がまさにそうでした。
 
自分=喋らない人というレッテルが貼られていない、
まっさらな状態の場所へ身を置くことで、
症状が改善する場合もあるようです。
 
私の場合は、
クラスから特別支援教室という、
私のことを知らない人達が集まっている教室に移動したことにより症状が改善され、
場面緘黙の克服へと繋げることが出来ました。
 
環境を変えるというのも、方法の一つです。
 
もう少し詳しく掘り下げていくと・・・
「好き」「安心感」「少人数」
が場面緘黙の克服のきっかけになったと書きましたが、
 
今回は
話しても笑っても指摘されない「安心感」
女の子3人とT先生という「少人数」
が当てはまります。
 
さらに言うと、
話しても変に思われないという「気づき」
話す事が出来たという「成功体験」
も、克服のきっかけになったと考えられます。
 
もっと細かく言えば、「絵を描くことは嫌いじゃない」という部分も、
「好き」に当てはまり、初動のきっかけになりました。
 
「好き」「安心感」「少人数」「気づき」「成功体験」
 
私が場面緘黙を克服したきっかけは、子どもの頃に上記の体験をしていたからではないかな、と、思っています。
 
 
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最後に 

特別支援教室では、家と同じように話す事が出来るようになりましたが、
クラスでは、相変わらず話す事は出来ませんでした。
 
しかし、特別支援教室での成功体験のおかげで、
徐々に場面緘黙の症状が和らいでいきます。
 
クラスに行っても、あいさつもままならない状況でしたが、
ゆっくり、ゆっくり、少しずつ、
受け答えが出来るようになり、
自然な笑顔が出せるようになり、
仲良くなった友達とは、雑談も出来るようになっていきました。
 
今は「大人の場面緘黙」と言われる方も多くいらっしゃいます。
私は運良く、子どものうちに克服することが出来ましたが、大人になればなるほど、克服は難しくなってしまいます。
 
しかし、場面緘黙は「不治の病」ではありません。
 
私の経験から言える事は、
当事者の周りにいらっしゃる方々は、「安心」や「少人数」など、環境を整える配慮を。
当事者本人は、自分の「好き」を見つけ、話しても変に思われないという「気づき※」、そして小さな「成功体験」の積み重ねを。
 
それぞれ行っていくことで、
ゆっくり、
少しずつ、
症状の解消がみられるようになっていくのではないか、ということです。
 
 
※・・・「気づき」って難しくて。
人によって、場面緘黙による「気づけていない何か」は違うし、
自分で心の底から納得していないとわからなかったりします。
うわべだけの言葉で「話しても変に思われないから!大丈夫大丈夫・・・」と自己暗示してみても、上手くいかないことが多いので、本心から気づくことが大切です。実感することが大切です。
とても難しいですが、きっと出来ます。
 
 

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