場面緘黙で困ったときの対処方を考える!事前の準備と工夫がポイント!
- 授業参観で声が出せず、困り果てた末に祖母にあきれられた話
- 今回の漫画のポイント
- 困っていても気づかれない
- 「困ったこと」が起きた時の対処法を考える
- 事前準備を決める時は、スモールステップの表が便利
- 大前提として、当事者が「場面緘黙」を知っている必要がある
- まとめ
- 補足
授業参観で声が出せず、困り果てた末に祖母にあきれられた話
場面緘黙によって生じる困り事の一例です。
「話す事が出来ない」という弊害は、当事者の自信喪失に繋がります。
この一連の漫画の中だけで、
・話す事が出来ない自分への失望
・計算が出来ないと思われた屈辱(これは出来ることだったので余計)
・見限られたと感じた喪失感
・違う理由で怒られ、あきれられた無念さ
を、小さな体で感じていた訳です。
7,8歳の時の話です。年端もいかぬ子どもには感じて欲しくない感情ですよね。
よくこんなマイナス感情に晒されながら、ここまで成長してきたなぁと褒めてあげたくなります。
この時の私は、心底「話せない自分」が嫌いでした。
他の人が当たり前にしている「話す」という行為が「出来ない」という事実。
しかも、家では出来ているのに、学校へ行った途端に出来なくなるというところも、意味が分からなくて悩んでいました。
「出来ない自分」が恥ずかしい。
言ってもきっとわかってもらえない(だって私自身がわかってない)から、祖母にも打ち明けられない。
学校は苦痛でした。
今回の漫画のポイント
①場面緘黙で悩んでいる子は、困っていることに対して自分から助けを求めることが困難である
②知能に遅れがある訳ではない(私の場合)
③マイナスな感情はすぐに見抜く(「見限られたな」等)
④身内に「場面緘黙」に対する理解がないと、追い打ちを掛けられる場合がある
今回の記事で書こうと思っているのは、①です。
「話せない事によって生じる困り事」は、ほとんどの場面緘黙当事者の方は経験があるのではないでしょうか。
そして、「自分が困っている」ということを伝えることが難しい場合が多く、
さらには「困っていることに気づかれていない場合」も多いのではないかとも思うのです。
困っていても気づかれない
上の漫画の中でいうと、
このように、漫画的手法でとにかく困っている表情を描いていますが、これは私の脳内の自分を表しているだけです。
実際の私の表情はこんな感じです↓
ムスっとしてます。
むしろ怒ってる?とも捉えられるような厳しい表情をしていますね。
何も知らない大人が見たら、果たして私が「困っている」と気づくでしょうか。
心の中ではとても困っているのに、それが伝わらない。
話せないから、伝えるすべがない。
ここが、場面緘黙の大きな問題ともいえるのではないでしょうか。
もちろん、表情豊かな場面緘黙の方もいらっしゃるので、
表情で「困った」を伝えられる方もいるでしょう。
しかし私には、それが出来なかった。
では、私の様な場面緘黙の子に「困ったこと」が訪れたとき、どうすればいいのか。
漫画の例と共に考えていきたいと思います。
「困ったこと」が起きた時の対処法を考える
「困ること」は不意に起こることが多いです。
今回の私の場合も、50円が無くなることは想定外。
そのため、急な困り事に対してパニックを起こしてしまいました。
こうならないためには、事前の準備が大切になってきます。
どういうことかというと、
あらかじめ「困ったことが起きたら、こうする」ということを決めておくことが大切、ということです。
例えば私の場合。
「困ったことがあったら、友達に言って助けてもらう」と決めるのは違いますね。
現に私は隣の子に話しかけられませんでした。
では「困ったら先生に言う」ならどうでしょうか。
これは実際やっていませんが・・・友達に言えなかったことを、先生に言えるでしょうか・・・自信はありません。
では、「困っています」と書かれたカードを先生に見せる、はどうでしょうか。
これなら、ハードルがグンと下がります。
緘動がなかった私なら、カードを取り出して見せることなら出来るでしょう(ただし、事前に先生との相談が必要ですが)
ということで、
「もし何か不測の事態が起きて困ってしまったら、先生にカードを見せて協力を仰ぐ」
って決めよう!
↑これが事前の準備ですね。
あらかじめ行動を決めておけば、パニックにならずに冷静に動ける確率が上がります。
「困ったことがあっても、これをすれば大丈夫」と思えることは、安心にも繋がりますね。
事前準備を決める時は、スモールステップの表が便利
困ったときの対処方は、出来ない事を設定しても意味がありません。
私の場合は「友達に言う」です。
出来ない設定をして、「やっぱり出来ない、なんて自分は駄目なんだ」とヘコむ事ほど、阿呆くさいことはありません。
今の自分がどこまでが出来てどこまでが出来ないのか。
それを把握するためには、スモールステップの表に書き込むことがオススメです。
自分自身を整理することにより、
まだ出来る段階ではないことを事前準備に設定してしまったり、
逆に「私に出来る事なんて無い」と、出来ることからも目を背けてしまうことがなくなります。
もう何度もこのブログでは書いているのですが、
スモールステップの表は本当に便利ですよ。
どうして声が出ないの? | ||||
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大前提として、当事者が「場面緘黙」を知っている必要がある
困ったときの対処法は、自分が場面緘黙であると知っているからこそ、考えつくのではないかと思います。
もちろん、自分が場面緘黙と知らなくても、自分なりに工夫して困ったことを乗り越えてきた方もいるでしょう。
しかし、知らないよりは知っている方が対処の幅が広がるし、心の安定も大きいと私は思うのです。
知らなかった方の中には、それこそ根性論で「困ったときこそ話す!」と、
スモールステップをすっ飛ばして無理に頑張って話すことで克服した方もいらっしゃるかと思いますしね(根性論で治す事には否定派です)
まとめ
・困ったことが起きた時にそなえて、事前に準備をしておくことが大切
・事前準備をするには、
①場面緘黙の周知
②スモールステップの表に書き込む
が出来ていた方が良い。
こんなところです。
ただでさえ傷つきやすく、繊細な心を持つ子の多い場面緘黙。
少しでも当事者が傷つかないような工夫をしてもらえたらいいなと思います。
自分が出来るところは自分の力でやってみて、
困ったことが起きた時、自分の力ではどうしようも無いときは、人に助けを求める工夫をしておく事が大事だと思っています。
決して、1人で解決しようとしないこと。
これはとても大切なことです。
そして、
困ったことの解決方法は、一つしかないわけではありません。
どうしても話せない当事者の方は、
「話せれば全てが解決するのに」
「たった一言「50円貸して」といえば済む話」
と思ってしまいがちですが(実際私はそう思ってましたし)、
そんなことありません。
『心の中ではとても困っているのに、それが伝わらない。
話せないから、伝えるすべがない。』
上記でこのように書いていますが、
話せないから、伝えるすべがないのではありません。
伝えるすべはあるのに、方法を知らない(わからない)だけなのです。
話すことだけが、困りごとを解決する唯一の方法ではないという事を知ってください。
今はまだ、話す事が出来ない。
だから、話せるようになるまでは別の解決方法を探す。
それでいいのです。
話せない事、出来ない事は、悪いことではないのです。
補足
漫画の文字の転写。ごちゃごちゃしてしまうので、
こちらに書いておきます。
授業参観の話①
場面緘黙絶世期だった小学校低学年の頃の授業参観での話し
算数の授業だったと思う
親がお客さん、子どもが店員となり、お金を受け取り暗算しておつりを渡すという、
ちょっとレベルの高いおままごとのような授業をした
幸い私は緘動(動けなくなること)はなかったので
「・・・・(60円のおつり)」
喋れなくても手を動かし、何とかこなしていた
だがここで 予期せぬ事態が起こる
「これを下さい」
30円の商品と100円の紙(お金の代わり)を見た私は、
おつりの70円を渡そうと、自分の小銭入れを見ると・・・
(70円・・・)
授業参観の話②
(50円がない)
なんと、渡せるだけのおつりが無くなってしまっていたのだ
一瞬でパニックに
(どっどうしよう・・・)(早く渡さなきゃなのに・・・)(お客さん困ってる・・・)(あ、隣の子まだ50円残ってる!)(借りればおつりが渡せる)
解決策を見いだした私は必死に隣の子に目線を送るも、全く気づかれず
「・・・・っっ!!!」
「ありがとーございましたー!!」
一言「貸して」と言えば済む話しだった。そんなことは百も承知だった。しかし、
出ないのだ、声が
自分でもなぜ話せないのか、わからないのだ
授業参観の話③
しばらくして、しびれを切らしたお客さん役の親が口を開いた
「えーっと、これが30円でー、100円のお金を持ってきたからー、100引く30はー?」
(計算が出来ないと思われている!!)ガーン!!
(違っ!!計算はちゃんと出来てる、おつりが70円なのも分かってる!!)
(でも50円がなくておつりが渡せないの!!)
(隣の子にかしてもらいたいんだけど・・・)
その後、その親は私ではなく、別の子の所で無事お会計を済ませる
次の瞬間チャイムが鳴り、授業参観は幕を閉じた
「これもお願いしまーす」「はーい」(「あ、見限られたな」と思っている)
そして帰宅後、一連の様子を見ていた祖母に
あきれられる
「まったくあきれたよ!」プンプン!
授業参観の話④
「あんな簡単な計算も出来ないなんて!!」
「あっ・・・ち、ちがう!!」
「計算は出来てたよ!!」※家では話せる
「答えは分かってたよ!!ただ・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「まったくもう!!」恥ずかしい!!
(違うのに・・・)
言えなかった
「家では喋るのに学校では声が出なくなって、だから50円も借りられなかった」なんて、そんな訳が分からないことを
祖母に言う勇気は無かった
「・・・・・・」