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~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

場面緘黙で困ったときの対処方を考える!事前の準備と工夫がポイント!

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授業参観で声が出せず、困り果てた末に祖母にあきれられた話

場面緘黙によって生じる困り事の一例です。

「話す事が出来ない」という弊害は、当事者の自信喪失に繋がります。 

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この一連の漫画の中だけで、

 

・話す事が出来ない自分への失望

・計算が出来ないと思われた屈辱(これは出来ることだったので余計)

・見限られたと感じた喪失感

・違う理由で怒られ、あきれられた無念さ

 

を、小さな体で感じていた訳です。

7,8歳の時の話です。年端もいかぬ子どもには感じて欲しくない感情ですよね。

よくこんなマイナス感情に晒されながら、ここまで成長してきたなぁと褒めてあげたくなります。

 

 

この時の私は、心底「話せない自分」が嫌いでした。

他の人が当たり前にしている「話す」という行為が「出来ない」という事実。

しかも、家では出来ているのに、学校へ行った途端に出来なくなるというところも、意味が分からなくて悩んでいました。

「出来ない自分」が恥ずかしい。

言ってもきっとわかってもらえない(だって私自身がわかってない)から、祖母にも打ち明けられない。

学校は苦痛でした。

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今回の漫画のポイント

①場面緘黙で悩んでいる子は、困っていることに対して自分から助けを求めることが困難である

②知能に遅れがある訳ではない(私の場合)

③マイナスな感情はすぐに見抜く(「見限られたな」等)

④身内に「場面緘黙」に対する理解がないと、追い打ちを掛けられる場合がある

 

今回の記事で書こうと思っているのは、①です。

「話せない事によって生じる困り事」は、ほとんどの場面緘黙当事者の方は経験があるのではないでしょうか。

 

そして、「自分が困っている」ということを伝えることが難しい場合が多く、

さらには「困っていることに気づかれていない場合」も多いのではないかとも思うのです。

 

  

困っていても気づかれない

上の漫画の中でいうと、

 

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このように、漫画的手法でとにかく困っている表情を描いていますが、これは私の脳内の自分を表しているだけです。

 

実際の私の表情はこんな感じです↓

 

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ムスっとしてます。

むしろ怒ってる?とも捉えられるような厳しい表情をしていますね。

何も知らない大人が見たら、果たして私が「困っている」と気づくでしょうか。

 

心の中ではとても困っているのに、それが伝わらない。

話せないから、伝えるすべがない。

 

ここが、場面緘黙の大きな問題ともいえるのではないでしょうか。

 

もちろん、表情豊かな場面緘黙の方もいらっしゃるので、

表情で「困った」を伝えられる方もいるでしょう。

しかし私には、それが出来なかった。

 

では、私の様な場面緘黙の子に「困ったこと」が訪れたとき、どうすればいいのか。

漫画の例と共に考えていきたいと思います。

 

 

「困ったこと」が起きた時の対処法を考える

「困ること」は不意に起こることが多いです。

今回の私の場合も、50円が無くなることは想定外。

そのため、急な困り事に対してパニックを起こしてしまいました。

こうならないためには、事前の準備が大切になってきます。

 

どういうことかというと、

あらかじめ「困ったことが起きたら、こうする」ということを決めておくことが大切、ということです。

 

例えば私の場合。

「困ったことがあったら、友達に言って助けてもらう」と決めるのは違いますね。

現に私は隣の子に話しかけられませんでした。

では「困ったら先生に言う」ならどうでしょうか。

これは実際やっていませんが・・・友達に言えなかったことを、先生に言えるでしょうか・・・自信はありません。

では、「困っています」と書かれたカードを先生に見せる、はどうでしょうか。

これなら、ハードルがグンと下がります。

緘動がなかった私なら、カードを取り出して見せることなら出来るでしょう(ただし、事前に先生との相談が必要ですが)

 

ということで、

「もし何か不測の事態が起きて困ってしまったら、先生にカードを見せて協力を仰ぐ」

って決めよう!

↑これが事前の準備ですね。

 

あらかじめ行動を決めておけば、パニックにならずに冷静に動ける確率が上がります。

「困ったことがあっても、これをすれば大丈夫」と思えることは、安心にも繋がりますね。

 

 

事前準備を決める時は、スモールステップの表が便利

困ったときの対処方は、出来ない事を設定しても意味がありません。

私の場合は「友達に言う」です。

出来ない設定をして、「やっぱり出来ない、なんて自分は駄目なんだ」とヘコむ事ほど、阿呆くさいことはありません。

 

今の自分がどこまでが出来てどこまでが出来ないのか。

それを把握するためには、スモールステップの表に書き込むことがオススメです。

 

自分自身を整理することにより、 

まだ出来る段階ではないことを事前準備に設定してしまったり、

逆に「私に出来る事なんて無い」と、出来ることからも目を背けてしまうことがなくなります。

 

もう何度もこのブログでは書いているのですが、

スモールステップの表は本当に便利ですよ。

 
スモールステップについて、 一番わかりやすいと思っている本です↓
 
どうして声が出ないの?

はやしみこ/かんもくネット 学苑社 2013年09月10日
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大前提として、当事者が「場面緘黙」を知っている必要がある

困ったときの対処法は、自分が場面緘黙であると知っているからこそ、考えつくのではないかと思います。

もちろん、自分が場面緘黙と知らなくても、自分なりに工夫して困ったことを乗り越えてきた方もいるでしょう。

 

しかし、知らないよりは知っている方が対処の幅が広がるし、心の安定も大きいと私は思うのです。

 

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知らなかった方の中には、それこそ根性論で「困ったときこそ話す!」と、

スモールステップをすっ飛ばして無理に頑張って話すことで克服した方もいらっしゃるかと思いますしね(根性論で治す事には否定派です)

 

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まとめ

・困ったことが起きた時にそなえて、事前に準備をしておくことが大切

・事前準備をするには、

①場面緘黙の周知

②スモールステップの表に書き込む 

が出来ていた方が良い。

 

こんなところです。

 

 

ただでさえ傷つきやすく、繊細な心を持つ子の多い場面緘黙

少しでも当事者が傷つかないような工夫をしてもらえたらいいなと思います。

 

自分が出来るところは自分の力でやってみて、

困ったことが起きた時、自分の力ではどうしようも無いときは、人に助けを求める工夫をしておく事が大事だと思っています。

 

決して、1人で解決しようとしないこと。

これはとても大切なことです。

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そして、

 

困ったことの解決方法は、一つしかないわけではありません。

 

どうしても話せない当事者の方は、

「話せれば全てが解決するのに」

「たった一言「50円貸して」といえば済む話」

と思ってしまいがちですが(実際私はそう思ってましたし)、

そんなことありません。

 

『心の中ではとても困っているのに、それが伝わらない。

話せないから、伝えるすべがない。』

 

上記でこのように書いていますが、

話せないから、伝えるすべがないのではありません。

伝えるすべはあるのに、方法を知らない(わからない)だけなのです。

 

話すことだけが、困りごとを解決する唯一の方法ではないという事を知ってください

 

 

今はまだ、話す事が出来ない。

だから、話せるようになるまでは別の解決方法を探す。

それでいいのです。

話せない事、出来ない事は、悪いことではないのです。 

 

 

補足 

漫画の文字の転写。ごちゃごちゃしてしまうので、

こちらに書いておきます。

 

 

授業参観の話①

場面緘黙絶世期だった小学校低学年の頃の授業参観での話し

算数の授業だったと思う

親がお客さん、子どもが店員となり、お金を受け取り暗算しておつりを渡すという、

ちょっとレベルの高いおままごとのような授業をした

 

幸い私は緘動(動けなくなること)はなかったので

「・・・・(60円のおつり)」

喋れなくても手を動かし、何とかこなしていた

 

だがここで 予期せぬ事態が起こる

「これを下さい」

 

30円の商品と100円の紙(お金の代わり)を見た私は、

おつりの70円を渡そうと、自分の小銭入れを見ると・・・

(70円・・・)

 

 

 

授業参観の話②

(50円がない)

なんと、渡せるだけのおつりが無くなってしまっていたのだ

 

一瞬でパニックに

(どっどうしよう・・・)(早く渡さなきゃなのに・・・)(お客さん困ってる・・・)(あ、隣の子まだ50円残ってる!)(借りればおつりが渡せる)

 

解決策を見いだした私は必死に隣の子に目線を送るも、全く気づかれず

「・・・・っっ!!!」

「ありがとーございましたー!!」

 

一言「貸して」と言えば済む話しだった。そんなことは百も承知だった。しかし、

出ないのだ、声が

自分でもなぜ話せないのか、わからないのだ

 

 

 

授業参観の話③

しばらくして、しびれを切らしたお客さん役の親が口を開いた

「えーっと、これが30円でー、100円のお金を持ってきたからー、100引く30はー?」

(計算が出来ないと思われている!!)ガーン!!

 

(違っ!!計算はちゃんと出来てる、おつりが70円なのも分かってる!!)

(でも50円がなくておつりが渡せないの!!)

(隣の子にかしてもらいたいんだけど・・・)

 

その後、その親は私ではなく、別の子の所で無事お会計を済ませる

次の瞬間チャイムが鳴り、授業参観は幕を閉じた

「これもお願いしまーす」「はーい」(「あ、見限られたな」と思っている)

 

そして帰宅後、一連の様子を見ていた祖母に

あきれられる

「まったくあきれたよ!」プンプン!

 

 

 

授業参観の話④

「あんな簡単な計算も出来ないなんて!!」

「あっ・・・ち、ちがう!!」

「計算は出来てたよ!!」※家では話せる

 

「答えは分かってたよ!!ただ・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・・・」

 

「まったくもう!!」恥ずかしい!!

(違うのに・・・)

言えなかった

 

「家では喋るのに学校では声が出なくなって、だから50円も借りられなかった」なんて、そんな訳が分からないことを

祖母に言う勇気は無かった

「・・・・・・」

 

 

後遺症や生きづらさの改善には「段階」がある!前向きな言葉が響かない段階→とにかく不満を吐き出す!

私は、前向きな言葉を見るたびに思っていました。

 

「うるせー!それが出来てりゃこうはなってねーんだよ!!」とか、

「はいはい経験してない人は良いですね!わかんないですよね私がどんなに辛い思いしてここまでやってきたかなんて!!!」とか、

「あなたはね?あなたは出来たかもしれないよね?生きやすくなったかもしれないよね?でも私は違うから。あなたとは違うから!!!」とか。

 

かと思いきや

「てかさぁ・・・これが出来ない私が駄目なんじゃない・・・?」とか

「いや私より辛い思いしてる人とかいっぱいいるし・・・悲劇のヒロインぶってるのとか・・・どうなの・・・?」とか、

「この人が出来たんだから、私も頑張らないとダメじゃん・・・」とか。

 

とにかくポジティブな言葉が響かず、「お前に何がわかる!」と「やっぱ駄目だ私」という怒りと自虐が交互に襲ってくる現象が起きていました。

 

今現在はポジティブな言葉を聞いても、特に負の感情が動くことはなくなりましたが、

急に考え方が変わるわけではありません。

様々な「段階」を踏んで、初めて考え方が変わっていきます。

 

この「段階」という言葉。

SNS上で見つけたOKAMATIさんの一連のスレッドがとてもわかりやすかったので、

今回は私の経験と併せて紹介していきたいと思います。

 

 

※段階とは、後遺症や生きづらさが改善していく時の、心の変化のことです。

自分の心が今どの段階にいるのかを把握することは、後遺症や生きづらさの改善に大変役に立つことと思います。 

 

※ちなみに、上記で言っている「ポジティブな言葉が響かない段階」はこちらから飛べます

 

 

 

自分と向き合い、改善していくための段階とは

 

 

OKAMITIさんはアスペルガーの改善で書かれていますが、

私の生きづらさが改善された時も同じような段階をたどっていきました。

様々な問題を抱えた人全般に言えるのではないかと思います。

 

①自分に疑問を抱く時期・②一皮むける時期 

これはあくまでも個人的な感覚。
私が自分と向き合いアスペを改善して行く時は段階があった。

【①自分に疑問を抱く時期】
発達障害という言葉を知ったり、周囲から指摘されたり、自分と他者の違いに気付いたりして疑問を抱く。
自分を知ろうとする初期段階。自分と向き合う入り口。
OKAMATI@アスペ主婦ブログ @OKAMATI1

 

【②一皮むける時期】
情報を得たり言葉を知ったり等で一皮むける。
急に「そういうことか!」と自分の殻を破ったような、全てがわかったような気持ちになる。
この時の感覚はかなりの快感だから人に伝えたくなる。
OKAMATI@アスペ主婦ブログ @OKAMATI1

 

 「初めて場面緘黙という言葉を知ったとき、とても安心した。」

こういった経験をした方は多いのではないでしょうか。 

 

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「どうして話せないのか、自分でもわからない」状態から、

「私が話せなかったのは、「場面緘黙」だったからなんだ!」という納得がいく理由を言われた時の安心感ったら、なかったですよね。

周りが開けたような、そんな感覚がありました。 

 

 

③承認欲求が高まる時期

【③承認欲求が高まる時期】
②の後に改善していく事で自分の変化を感じやすい時期。

この時期は『自分の変化を感じる+頑張ってる自分で満たされる+今までの不安感、劣等感の反動の大きさ』が影響して承認欲求が高まる。

しかし、この時期はまだ承認欲求を自覚できないせいで
「定型と発達障害の橋渡しをする!」とか「自分は発達障害に困っている人を助けたい!」とか思いがち。

OKAMATI@アスペ主婦ブログ @OKAMATI1

 

う〜ん、、、身に覚えがあります。

先ほどの続きですが、

私が「同じ場面緘黙で困っている人を助けたい!」と思っていた時期に描いた漫画です↓

 

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そういえば、ブログを始めた最初の動機もこれだった気がします。

ーー人を助けたいーー

個人的には、その精神は大切だと思います。結果的に私がブログを立ち上げた行動力にも繋がっていますしね。

 

とにかくやる気がありました。周りがキラキラ輝いていました。

当時の私は、その勢いのまま、

旦那に「私は同じ場面緘黙の人を助けたい!勇気づけたい!」ということを話しました。夢を語ったのです。

が、ここで旦那から衝撃の一言。

 

旦那「自分のことだって手一杯なのに、人のこと助けてる場合じゃなくない?」

 

( ゚д゚)

 

この言葉を聞いた私は、次の瞬間には顔真っ赤にして「なにくそーーーーーー!!!!!」と激怒していました。

ちょっとした喧嘩にも発展しましたね。

 

当時は「人の気持ちを踏みにじるとは!なんて冷たい人なんだ!!」と泣き叫び、

その後ずーーーーん・・・と気持ちが沈み、しばらくふさぎ込んだりもしました。

 

しかし・・・

 

生きづらさが改善された今の状態で思い返してみると、

この段階では「人を助けるだけの余力がない」ということは、

紛れもなく事実なのです。

 

まだ、自分自身と向き合い始めたばかりの段階。

自分が何者なのか、ということを知っていくのは、これからなのです。

この後が、長い長い道のりなのです。

 

※旦那の名誉の為に書いておきますが、決して冷徹な人でなく、客観的に物事を見ることが出来る人で、大変尊敬できる人です

 

「カウンセラー養成講座を開くと、
『いや、むしろカウンセリングを受けられたほうが良いのでは?』という人が結構な割合で受講に来る」という話について、
この「人のお役に立ちたい衝動」には身に覚えがあるので、
「なるほどと思う」という感想をツイートしたところ、
「悩みを抱えながら→

→カウンセラーを目指している当人」から、長い長いリプライを頂戴したことが。
図らずも、「話を聞いてほしい人が、話を聞く仕事を目指している一例」を得てしまい、
あのときのものすごーくシンドイ気持ちは大層忘れがたく。

ぱふ @ppaaffuu

 

私にも身に覚えがあり、「なるほど」と思います。

 

「人のお役に立ちたい衝動」が、悪いわけでは無いのですが、

この時期に必要なのは、役に立つことではなく、自分自身と向き合い、自分自身と対話することなのです。

 

時期が違う・・・としか言えないです。

 

 

④絶望期

【④絶望期】
承認欲求の高まりすぎで痛い目にあったり、改善し続けた事により新たな自分の問題点を発見する事により新たな壁にぶつかる。
③の時期の反動によりかなり凹む。
そして、自分の不安に気付く。
この時期には不満が出やすいが、自分の中に溜まっていた毒を吐ききる事が重要。

OKAMATI@アスペ主婦ブログ @OKAMATI1

 

もしかしたら、②③の時期を通り越してここにたどり着く方もいらっしゃるかもしれません。

私の場合、旦那の「人のこと助けてる場合?」発言がきっかけでこの時期に入りました。

 

最初の方で書いた「前向きな言葉が響かない」時期は、ここだと思います。

とにかく自分の中で不安になったり、へこんだり、怒りがわいてきたり・・・。

感情のコントロールが出来ていませんでした。

 

この時期に大切なことは、まさに”自分の中に溜まっていた毒を吐ききること”です。

怒り・悲しみ・不安感などですね。

マイナスな感情を出しきることが重要です。

 

オススメは紙に書き殴る、というやり方。

頭の中でグルグル思っているより、紙に書き出した方が断然効果的です。

手を動かしている内に、スッと気持ちが落ち着いてきます。

 

個人的には、ツイッターで呟くより、紙に書いた方が効果があると思っています。

理由は、

・誰にも見られない

・反応が無いことが当たり前だから、反応を気にするモヤモヤがなくなる

・どんなに人の悪口を書いても咎められない

・文字数や文脈を気にしなくていい

等があります。

 

人の反応が無いというのは、案外大きな利点の一つかなと思います。(人の反応なんか全く気にならないと言う方はSNS上でも良いかもしれませんが)

 

こんな感じで↓

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注意して頂きたいのは、

自分の中の毒を吐き出す時期であるにもかかわらず、

人の成功体験を見て、「私も頑張るぞ!」と自分を奮起させようとしてしまう方。

 

これは危ないです。

 

SNS等を見ていても、

とにかく「前向きに!」「頑張るぞ!」を押し出している人がいます。

心から前を向いている人なら良いのですが、

「毎日辛い・・・でもこういう時こそ、前向きにならなきゃね!」とか

「嫌なことがあった・・・でも頑張るぞ!良いとこ探し!ファイトー!」とか、

自分の辛かった感情から目をそらしています。

その人の心が泣いているのが、文字からも伝わってきて、こういうツイートを見るたびに泣きそうになります。

 

もう一度言いますが、これは危ないです。

 

ネガティブな感情を抑えつけた上でのポジティブな考えは、いずれ破綻します。 

負の感情は出し切ってしまわないと、心に余裕が出来ず、前向きな感情も入れることが出来ません。

 

怒りや悲しみ、辛いことを口にすることは悪いことではありませんので、

私の書いている事に対する不満があれば、大いに「なつ(このブログの管理人)の言ってることウザすぎ!!!」って言って下さい。

※その場合は紙に書く方向でお願いします。SNS上だと繊細な私がその書き込みを見てへこむ可能性が出てくるので・・・(笑うとこ)

 

 

あ、あと、

個人的に思うのは、この時期は不快なニュースは積極的に見ないようにするといいと思います。

せっかく吐きだした不満も、新たな不満で埋め尽くされて、吐いても吐いても終わらない地獄になりそうなので・・・。

私はこの時期、テレビのニュースやツイッターのタイムラインは見ないようにしていました。

不快なニュースを見て余計な燃料を使いたくなかった為です。

それが結果的には良かったと思うので・・・。

 

 

⑤不安解消期

【⑤不安解消期】
④で毒を吐ききる事により自分に新たな余裕が生まれ自分の不安と対峙する時期。
初めて④で自分の抱える不安感の大きさを自覚できるから、どうしても不安感の根本と向き合わなければいけなくなるが、恐れず向き合えば解消できる。
そして、不安感を解消できれば次のステップに進める。

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”不安感の根本と向き合う”

これがけっこう辛かった記憶があります。

長年かけて作り上げてきた認知の歪みは、ちょっとやそっとのことでは治せません。

何度もくじけそうになりながら、自分自身との対話をしていきました。

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④で不満を吐き出したからこそ、出来たことだと思います。次に進めるための余裕が出来るんですよね。

本を読んだり、人の意見を参考にするだけの余裕も生まれ、行動力も出てきます。

 

私の場合は、④と⑤を行ったり来たりしていました。

⑤をやってて、不満が出てきたらまた④に戻って毒を吐く…みたいな。

 

 

⑥自己受容の時期

【⑥自己受容の時期】
ある程度の不安の根本を解消すると完全に自己受容できるようになる。
「これが私だ」と全て受け入れられ、精神的にすごく穏やかになる。
そして、過去と今と未来が繋がり、穏やかに自分と向き合い改善に取り組む事ができるようになる。

私の改善は大まかに分けるとこんな感じ。

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ありのままの自分を受け入れる=自尊心・自己肯定感の回復

ここが、「場面緘黙のゴール」といえる到達点だと思います。

場面緘黙のゴールについてはこちらから↓

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まとめ

今現在、自分がどの段階にいるのかを知ることは、

自分自身と向き合うために重要なことです。 

 

というか、

どの段階にいたとしても、自分と向き合うことは必須な気がします。

けっこうしんどいのですが、乗り越えた後は驚くほど心が軽くなります。

 

個人的にオススメしたいのが、

④の時期に、紙に感情を書きなぐり、

⑤に時期に、心理系の本を読む。

です。わりと簡単に出来て効果的だと思いますので。

 

私は図書館で気になった題名の本をいくつか借りて流し読みしてました↓

 

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ただし、④でちゃんと毒を出してから行動して下さい!

 

 

ちなみに、私は②から今の状態になるまで7年かかった。
長いなぁと感じるけど、この先の生きやすさを手に入れるためだと考えたら短いとも思う。
まぁ、人生常に勉強。学びがあるのはありがたい事だ。

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私自身も、①〜⑥になるまで7年かかってます。

長いようですが、”この先の生きやすさを手に入れるため”を考えれば、確かに短く感じますね。

 

無理はせず、自分のペースで少しずつ前に進んで行ければ良いですね。

 

 

補足 

漫画の文字の転写。ごちゃごちゃしてしまうので、

こちらに書いておきます。

 

 

初めて場面緘黙を知った時①

私が初めて「場面緘黙」を知った時

「これ私だーーー!!!この・・・」

「ばめん・・・「げん」・・・えー「めつ」・・・えーと、ばめん・・・」

「ばめん・・・・・もくしょう!!!」☆読めないーーー!!

 

まず感じた気持ちは「安堵」でした

「私・・・」

場面緘黙症だったんだ・・・」

 

目の前がフッと明るくなって肩の力が抜けた感覚を、今でも覚えています

(私が悪い訳じゃなかったんだ・・・)

(喋れないのは私の性格とか、暗さが原因じゃなかったんだ・・・)

(ああ良かった・・・)

(心が軽くなった・・・)

 

「極度の人見知り」「恥ずかしがり屋」説明できなかった現象の数々がピタリと当てはまり

モヤがかっていた自分自身の輪郭が、形を成したように感じました

ある特定の場所・状況でだけ話せなくなってしまう・症状が大変強く何年たっても自然には症状が改善されず、長引く場合がある・家ではおしゃべりで家族以外のコミュニケーションは全く問題ないのに、家族以外や学校で全く話せないことが続く・不安症や恐怖症の一種※「場面緘黙Wikipedia「かんもくネット」抜粋

 

 

 

初めて場面緘黙を知った時②

私は、話せないのは、ずっと、自分が悪いから、自分が弱いから、自分が暗いからだと思っていました。

周りの子が「あたりまえ」にしているおしゃべりを、私だけが「あたりまえ」に出来ないという事実が、とても恥ずかしかったのです

 

そして今なお、自分が「場面緘黙」だと気づかず、苦しんでいる方々はきっと、

私のように、自分を背見ている方が多いのではないかと思います

 

だから「場面緘黙」という症状を、「まだ場面緘黙を知らない当事者」の方に、一番知ってもらいたいなぁと思っています

(もちろん「たくさんの方に知ってもらいたい」は大前提ですが)

「私は自分の体験を絵で描くくらいしかできないけど」

 

私は「自分が悪い訳ではない」と思えることが、

「場面緘黙」と向き合う第一歩へと繋がる気がするのです

 

 

場面緘黙は努力して治すもの?治らないのは努力が足りない?いいえ違います!努力=「できる」ことを積み重ねること!(克服体験=参考文献の話もあるよ)

少し前、場面緘黙について取り上げた漫画が、SNSで話題になりました。

有名な方が描かれたものでしたので、多くの方に場面緘黙を知って頂くことが出来たのではないかと思っています。

フェルミ研究所さんの漫画はこちらから↓

 

 

しかし、当事者の中には「取り上げてもらったことは嬉しいけど、複雑」という意見がちらほら見受けられました。

理由は、漫画内で出てくる「本気で話すための努力」という言葉です。

 

・本気で努力すれば治るというものではない

・場面緘黙の人が話す努力をするというのは、バンジージャンプから飛び降りるのと同じような恐怖と戦いながらの努力をするということ※1

・安易に「努力」という言葉は使えない

・無理に努力すれば二次障害が出てしまう可能性がある

 

などなど・・・。

主に「努力」という言葉に違和感を覚える方が多いという印象でした。

 

そこで今回は、漫画や様々な方の意見を読ませて頂いた中で、

「場面緘黙は努力で治るのか」ということについての見解を書いていきたいと思います。

 

 

※1・場面緘黙の感覚は、ちょいちょいバンジージャンプから飛び降りる時の恐怖に例えられたりします。詳しくはこちらから↓

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「努力」の意味

「辛いことを我慢して行動することが努力」

 

努力という言葉には、こんな意味が込められているという風潮がありますよね。

まさに「バンジージャンプの恐怖と戦うこと」が「努力」であると言っているようなものです。

 

でもこんな意味で「努力」という言葉を使ってしまうと、

 

「本気で努力」すれば、話せるようになった人がいる。

お前が話せないのは、努力が足りないから。

努力が足りないのは、辛いことから逃げている証拠。

甘えているから、辛いことから逃げるんだ。

話せないのは甘え。

 

という考えを持つ人が現れてもおかしくありません。

 

・・・ちょっと何言ってるかわかんないですね。

途端に古臭くてダサい考え方になってしまいます。

この令和の時代に、まだ戦後の考え引きずってるの?と言いたくなりますね。

 

努力って、本来はもっと良い意味合いがあったと思います。

いつから自分を苦しめる言葉になってしまったのでしょうね。

 

 

 

そんな中、「努力」について調べていたのですが、こんな言葉を見つけました。

 

努力とは「できないこと」を克服することではなく、「できる」ことを積み重ねること

出典:努力する子にしたければスモールステップ法を実践しよう

 

スモールステップ法で達成する喜びを知れば、惜しみなく努力する子になる
これを「スモールステップ法」と言います。
ポイントは、子どもが必ず達成できるレベルまで下げてから、課題を設定すること。
課題をクリアすることが子どもの自信につながり、
「もっとがんばれば次に上がれる」というモチベーションを生むのです。

出典:努力する子にしたければスモールステップ法を実践しよう

 

大変感銘を受けました。なるほど!

努力の本来の意味って、こういうことなのかもしれません。

 

努力とは、出来ないこと、辛いことを我慢して行動することではなく、

「できる」ことを積み重ねること

 

出来ることを積み重ねるとは、まさしく「スモールステップ」 のことですよね。

 

 

努力の方向性を間違えてはいけない

努力=「できる」ことを積み重ねること

 

今はこの一言で集約できるのですが、まだこの言葉を知る前、

「努力」について違和感を持ち、ツイッターで長々と呟いたスレッドがあるので、そちらも紹介します。

 

※長いので読み飛ばし可です。 

要約すると、

○「バンジーを飛ぶ恐怖を味わいながら努力する」という、間違った努力の方法をとっていても緘黙は治らないよ(正確には治っても後遺症が残るからオススメしないよ)

○努力するなら「自分と向き合う努力=スモールステップ」をしていく必要があるよ。

○そして、スモールステップの第一歩は、人それぞれ違うんだよ。

 

ということを書きました。こちらです↓

 

【努力の方向性を間違えてはいけない、場面緘黙克服の話】

私はまさにバンジーの恐怖と戦いながら努力し、緘黙を治した者です。
だからこそ言えます。そのやり方は正しくない。
まさしく根性論です(結果、後遺症が根強く残りました)
努力するなら、努力の方向性を変える必要があります
  

 

場面緘黙を克服するために必要なのは、
話す努力(バンジーの恐怖と戦う努力)ではありません。
自分と向き合う努力です。
自分と向き合うとは、「自分の出来る所出来ない所と向き合う」ということです。 しかしこれ、けっこうキツいです。 →

 

自分と向き合う方法の一つとして「スモールステップの表に書き込む」があります。
場面緘黙の方がすべきことは、恐怖と戦いながらバンジーを飛ぶ努力をすることじゃない。
恐怖を感じないで飛べる高さを見つけ出し、そこから飛ぶ努力をすることです。
要するに大事なのは「スモールステップ」です。 →

 

…ところで、場面緘黙の方の中で、スモールステップの表に実際に書き込んだことがある方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
やってみたことがある方は分かると思いますが、けっこうしんどくないですか? →

 

出来ない部分があればあるほど、「私ってこんなことも話せないの…?」と気分が落ち込んでしまいます(だからキツい)
自分と向き合う努力=このキツさと向き合う努力

 

賛否両論あったというフェルミ研究所さんの漫画。
こちらはちゃんとスモールステップが出来ていると感じました。 →

 

彼女の場合、「初対面の方となら話せる→そこから「出来る」という自信を徐々につけていき、仲の良い友達とも話せるようになった」
しっかり自分を把握して、
出来ない場所での努力ではなく、出来る場所での努力をしています。

 

そして、ここを絶対に勘違いして欲しくないのですが、
「彼女の場合」が、初対面の人と話す事がスモールステップのはじめの一歩だっただけで、ここは人それぞれ違います。
絶対違います。
彼女の真似をしても場面緘黙は克服出来ません。

 

「自分自身のはじめの一歩」を、「自分自身で」見つけないとなんです。
人によって全然違うから。
だから「自分の出来る出来ないを把握する事」が大事なんです。 →

 

場面緘黙を治すための努力は、まずスモールステップの表をつける努力からはじまります。
バンジーの恐怖と戦う努力は、結果的に後遺症が残るだけなので、辞めた方がいいと経験者は思います。

 

なつ on Twitter: "【努力の方向性を間違えてはいけない、場面緘黙克服の話】

 

 

 

長々書いていてまとまりがないのですが、

これを端的に表してくれる言葉が

【努力=「できる」ことを積み重ねること=スモールステップ】

なんだと思います。

 

スモールステップについてはこちらから↓

www.raisemeup.work

 

どうして声が出ないの?

はやしみこ/かんもくネット 学苑社 2013年09月10日
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場面緘黙の克服に「努力」は必要か

努力=できることを積み重ねること=スモールステップ

とするならば、

 

必要でしょう。

 

反対に、

努力=出来ないこと、辛いことを我慢して行動すること

とするならば、

 

必要無いでしょう。

 

フェルミ研究所さんの漫画の「本気で話すための努力」は、スモールステップを駆使し、出来ることから積み重ねていっているので、

まさしく正しい「努力」をしている、と言えるのではないでしょうか。

 

 

反対に、バンジーを飛ぶ恐怖を味わいながら克服を目指すやり方は、努力とは言わないです。 

 

 

最後に:他人の克服体験を読んだあと考えて欲しいこと

努力の話と少しずれますが、

 

人の克服体験を見た後、

 

「それってこの人は出来たけど、みんながみんな出来る訳じゃないよね?」

「このやり方、私には無理」

「これが出来ない私が、治るのは無理なのかな」

「こういう表現、こういう誤解が生まれるんじゃないの?」

 

といった感情が生まれること、有りませんか?

私はバリバリ思ってました。

 

その当時描いた漫画がこちらです↓

 

f:id:buretsu33yume:20190918142648j:plain

 

 

【急募】場面緘黙症【解決策】

昔「世界仰天ニュース」で場面緘黙症のことをやっていた時のこと

海外の場面緘黙症の子の話。家で騒いでいる様子をクラスの子に映像で見せたことがきっかけで場面緘黙症が克服できた

「嘘だろ・・・?」本当に?

 

当時の私は学校での私を家族に知られたくなかったし、家での私を学校の子に知られたくなかった

なっちゃん学校では全然話さないよー」

(やめろ!!!)(言うな!!!)

 

当時の私がこれやられてたらどうなってた・・・?いやでも意外とうまくいってたのかな?実際やってないからわからないけど・・・いや¥・・・でももしこれで心潰れちゃったらどうする?いや本当わかんない。自分のことなのに全く想像出来ないわ恐ろしい・・・。いやでもコレ低学年なのか中学年なのか高学年なのかでも違ってくると思うしクラスの人数とか雰囲気も関係してくると思うし今回のケースはたくさんの奇跡が重なってものすごく良いタイミングで出来たからこその成功な気がするし針の穴を通すような今回の奇跡で緘黙症を克服出来た人はこのテレビの方以外にはどれだけいらっしゃるのだろうか・・・てか日本での成功例とかあるのこれ?うーーーーーん・・・

 

難しい問題だなぁコレは

「これ!」っていう解決方法が無いよね場面緘黙症・・・。

 

世界仰天ニュースでやっていた場面緘黙を克服した少女(カースティー・ヘイズルウッドさん)の話が、とても信じられなくて、

「嘘だろ?」

「私は無理だ」

「え?これって正しいの?正しいの?」

「だってもしこの方法試して失敗して心に傷を負う子が出てきたらどうすんの?」

というように、

ずーーっと、この方法が正しいのか正しくないのか、場面緘黙の解決方法って何なのか。を考えていました。

 

 

現在、

場面緘黙・後遺症ともに克服した私は、克服の体験を漫画にして描いています。

伝える側になって思ったことは、

 

フェルミ研究所さんの漫画も、

世界仰天ニュースのカースティーさんの体験も、

私の克服漫画も、

今現在悩んでいる当事者が、場面緘黙を克服するための参考文献

 

ということです。

(※当事者以外の人には「場面緘黙」の存在を知ってもらうための媒体)

 

 

私は人の成功体験や克服体験を見ては「これは正解?」とか「このやり方だと成功しない子の方が多いんじゃ・・・」とか、色んなことを考えていたのですが、

そもそも他人の克服体験が、自分やその他の子にとっての正解な訳ないです。

丸々同じやり方をしても、成功する訳ないです。

 

だってその人とは生まれた立場も環境も育ち方も全く違うわけですから。

その人にとっては正解でも、私にとっての正解になるとは限らないのです。

 

しかし、人の成功体験を見ることに意味がないとは思いません。

人の体験には、自分でも使えそうなヒントが隠れている場合があります。

 

人の意見を見ることで、「自分はちょっと違うな」とか、「確かにこれなら自分も出来そうかも」とか、

自分自身のやり方を模索する選択肢を増やすことが出来ます。

 

「この人がこうしていて成功してるから、このやり方が正しいんだ!」と盲目的に信じるのではなく、

「こんなやり方私には出来ない・・・なんて自分はダメなんだ・・・」と自分を悲観する材料にするのではなく、

 

「この人はこうして克服している、けど、自分だったら無理だろうな。じゃあ何だったらいいんだろう」と、自分を分析する上での参考として考えることで、

自分自身と向き合い、自分自身の克服方法を見つける糧になるのではないでしょうか。

 

この、「じゃあ何だったらいいんだろう」まで考えられるのがベストです。

「わたしには無理だ」で終わらず、あと一歩踏み出して考えてみることが大切だと私は思います。

 

 

全部を真似する必要はないですが、自分にとって有益で使えそうな部分のみ、どんどん真似していって欲しいと思っています。

 

 

 

 

おまけ

上の漫画を描いていた当時の私へのアドバイスをするとしたら(自分へのアドバイスなので辛口)

 

これは、カースティーさんのやり方に合っていたに過ぎない。

みんながみんなこのやり方であってるわけでは無い。

当時のあなたはしない方がいいと思う(当時の自分を今振り返ってみて思う)

カースティーさんの方法をそこまで深く考える必要は無い。ただの参考文献。

『沢山の奇跡が重なって成功した』って書いてあるけどその通り。

彼女にとって唯一無二の克服方法であっただけ。

「自分はどうだろうか」って考える参考程度で十分。

『これっていう解決方法がないよね』その通り。

みんながみんな、一人1人違うんだから、「これ」なんてない。

自分自身の解決方法を考えることが重要。

ただ、他の人の克服体験で書かれていたスモールステップという方法を使うのは良い。そこは真似していい。

しかし、スモールステップの第一歩はみんな違うから、結局「これ」とは言えない。

自分自身で第一歩を見つけて、実践していくしかない。

とりあえず今あなたがすることは、場面緘黙の後遺症を治すことに専念することだよ。

その為にはまず休め。

詳しくはコレを見てね↓

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って感じです。

 

端的に言うと、

「参考文献について頭抱えるのではなく、自分と向き合うことに時間を使おう。」

ですね。

 

話せるようになったら解決?「場面緘黙の克服」って、どういう状態の事を言うの?当ブログにおける定義とは!

このブログは、「場面緘黙・後遺症の克服を目指す方」に向けても書いていますが、

みなさんは「場面緘黙の克服」とはどういう状態のことだと思いますか?  

 

挨拶が出来るようになったとき?

雑談が出来るようになったとき?

人の目や評価を気にせず話せるようになったとき?  

 

実は、どういう状態が「場面緘黙の克服をしたとき」なのか、公式?として特に設定されていないのです。  

そのため何を持ってして「克服した」と言えるのかがわからず、

「確かに話せるようにはなったけど、話している最中ずっと不安だし、これって場面緘黙が治ったって言えるの?」 という疑問を持つ方も少なくありません。  

 

そこで今回は、

「場面緘黙克服の定義」について当ブログの見解を書いていきたいと思います。

よろしくお願いします。  

 

※あくまでも「私の」考える克服の基準です。

これが正解なんて事は全くなく「自分はこう思う」という基準があれば、そちらで考えて頂ければと思います。    

 

 

 

 

当ブログでの定義

様々な方の意見を参考にまとめた結果、

当ブログではこのように定めました。

 

○場面緘黙の克服(緘黙の克服)

日常生活に支障が無い程度に話せるようになったとき

 

○後遺症の克服(緘黙のゴール)

自尊心・自己肯定感が高い状態に戻ったとき・ありのままの自分を好きになり、受け入れられたとき

 

○「場面緘黙の当事者」

場面緘黙または後遺症、いずれかをしている者

 

 

克服について考えていく上での参考として頂けたら幸いです。

 

では、一つずつ説明していきたいと思います。

 

 

場面緘黙の克服(緘黙の克服)とは

場面緘黙の克服(緘黙の克服)=日常生活に支障が無い程度に話せるようになったとき

 

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 まず、克服云々の前に、

「場面緘黙の定義」について見ていきます。

場面緘黙の定義とは

場面緘黙症(選択性緘黙

・他の状況では話すことができるにもかかわらず、ある特定の状況(例えば学校のように、話すことが求められる状況)では、一貫して話すことができない。

 

・この疾患によって、学業上、職業上の成績、または社会的な交流の機会を持つことを、著しく阻害されている。

 

・このような状態が、少なくとも一ヶ月以上続いている。(これは、学校での最初の一ヶ月間に限定されない)

 

・話すことができないのは、その社会的状況において必要とされている話し言葉を知らなかったり、また、うまく話せない、という理由からではない。

 

・コミュニケーション障害(例えば吃音症)では説明がつかず、また、広汎性発達障害統合失調症またはその他の精神病性障害の経過中経過中にのみ起こるものではない

参照:場面緘黙症 - Wikipedia

 

簡単に言いますと、

 

【学校などの特定の場所で、一ヶ月以上一貫して話す事が出来ない。

学業やコミュニケーションが著しく阻害され、日常生活に支障が出てしまう】

 

ということです。 

つまり、この定義を基準に「場面緘黙の克服」を考えると、

 

「特定の場所でも話す事が出来る」

「日常生活で支障が出ない程度に話せる」

 

という状態が、「場面緘黙の克服」となります。

 

ここには、その後の生きづらさや不安感などは含まれていません。

あくまで個人の気持ちではなく「技術的に出来るようになったか否か」を克服の基準として考えています。

 

日常生活で困らないとはどの程度のことを言うか

最低限、日常生活で困らない程度の会話は、

 

・「はい」「いいえ」の意思表示が出来る

・必要に応じて、声を出すことが出来る(授業の発表や音読、重要な伝言等)

・あいさつを返せる。

・「ありがとう」「ごめんなさい」が言える

 

 等になります。

 

が、「日常生活で困らない」の程度は人それぞれ違いますので、

自分自身の基準で考えてみることが大切です。

 

言うべきことが言えずに、周りに嫌な思いをさせてしまうとか、

伝えなければいけない伝言を伝えられず迷惑を掛けてしまうとか・・・

そういったことがなければ、場面緘黙を克服したと言っていいと思います。

 

個人的には、「雑談が出来ない」は日常生活の支障には入らないと感じています。 

確かに、人との交流が円滑に進まないのは支障があると言いたくなりますが、

雑談って、しなくても困らないんです。

した方が楽しいし、人と仲良くなれますが、しなくても「困り」はしません。

よっぽど「あいさつが出来ない」とか「はいいいえ、ありがとうごめんなさいが言えない」とか「重要な伝言を伝えられない」方が、

周りの人に与える影響が大きい分、困ります。

 

 

※重ね重ね言いますが、上記は個人的な考えですので、

「自分自身で困る基準」を設定して、自分が場面緘黙を克服しているかどうかを考えてみることが大切です。 

私の意見は一意見で、絶対ではありません。

 

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後遺症の克服(緘黙のゴール)とは

後遺症の克服(緘黙のゴール)=自尊心・自己肯定感が高い状態に戻ったとき・ありのままの自分を好きになり、受け入れたとき

 

場面緘黙の後遺症の定義とは

場面緘黙が治っても、人間関係に苦手意識をもってしまったり、対人関係による不安から生きづらさを感じている。

 

これらをまとめて「場面緘黙の後遺症」と呼んでいます。

 

要するに、 「場面緘黙を経験したことにより出てきたしまった二次障害、または生きづらさ」 ということですね。

 

 (中略)

 

後遺症の原因

④自尊心・自己肯定感の欠如

 

私は、最も重要な原因はこれであると思っています。
場面緘黙の時、「話せない自分」「出来ない自分」がいる場面に多く直面すればするほど、自己否定の感情が芽生え、自尊心・自己肯定感といった感情が育たなくなってしまいます。  

自尊心とは「良いところも悪いところも、全て含めて自分を受け入れ、尊重出来る心」 です。  

場面緘黙の後遺症に関わらず、 生きづらさを感じている人は、この『自尊心』が低い人が多いのです。

場面緘黙の影響で低くなってしまった自尊心を高めていくことが、後遺症克服への第一歩となるでしょう。

  

場面緘黙の後遺症とは?「話せるようになったのに生きづらい」4つの原因とは?! - raise me up

 

私のブログから引用しました。

 「場面緘黙の後遺症」は、当事者の私たちがそう呼んでいるだけであって、

定義づけされているものではありません。

上の引用は、様々な方の意見を参考に書いたものです。

 

さて、この定義を基準に「後遺症の克服」を考えていくと、

 

「生きづらさが無くなったとき」

=「自尊心・自己肯定感が高い状態に戻った時」

 

という状態が、「後遺症の克服」となります。 

 

これは場面緘黙の克服と違い、技術的な面ではなく個人の心の回復に焦点を当てており、そこが基準となっています。

 

 

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「場面緘黙の当事者」とは

「場面緘黙の当事者」 =場面緘黙または後遺症、いずれかを有している者

 

 

○場面緘黙の克服(緘黙の克服)

○後遺症の克服(緘黙のゴール)

 

現在はこのように分けて考えていますが、

少し前まで、私は「克服」と「ゴール」をごちゃまぜにして考えていました。

ここの境界線が曖昧だったため、

 

「後遺症があっても、話せるから当事者ではない。私は「元・当事者」です」

「でも・・・話せているはずなのに心の辛さは残っている・・・私はまだ場面緘黙を克服出来ていないのかな?」

「本当に今ここが場面緘黙のゴール地点なんだろうか…」

と、答えが出ない自問自答を繰り返してしまっていたのです。

 

「話せるようになって、場面緘黙は治っているのに、喋ることに苦手意識があるし、毎日不安だし、人と接することが未だに苦手で・・・

克服は出来ているはずなのに、どうしてこんなに辛いんだろう・・・」 

このような、私と同じような悩みを抱えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

 

しかし、

緘黙の克服」と「緘黙のゴール」を分けて考えて見ると、

この疑問はスッとほどけていきました。

 

 

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私は、日常生活で困らない程度に話せていて、場面緘黙の克服は出来ていたから、

「場面緘黙の当事者ではない」と考えていましたが、

緘黙のゴール」にはたどり着いていなかったため、まだ「場面緘黙の当事者」である。

ということがわかり、納得することが出来ました。

 

※現在はどちらの克服も出来ており、元・当事者になっています

 

 

まとめ

最後にもう一度、こちらが当ブログでの定義です。

 

○場面緘黙の克服(緘黙の克服)

日常生活に支障が無い程度に話せるようになったとき

 

○後遺症の克服(緘黙のゴール)

自尊心・自己肯定感が高い状態に戻ったとき・ありのままの自分を好きになり、受け入れられたとき

 

○「場面緘黙の当事者」

場面緘黙または後遺症、いずれかをしている者

 

 

この理屈を応用して

「話せるようになったけど雑談は苦手」

という状況の人を考えてみると、

 

話せるようになった=日常生活に支障が出ていない

雑談が苦手=そんな自分を責め、塞ぎ込んでしまう、生きづらさを感じる  

という状態であるならば、  

「場面緘黙の克服は出来ているけど後遺症が残っている、「場面緘黙の当事者」」  

 

といえます。   

ちなみに、

 

話せるようになった=日常生活に支障が出ていない

雑談が苦手=苦手だけどまあそれが私だし!自分を責めたり塞ぎ込んだりはしないかな!  

という状態であるならば、  

「場面緘黙の克服は出来てるし、自尊心・自己肯定感の回復も出来てる(後遺症も克服出来てる)「元・場面緘黙の当事者」」 

 

といえるでしょう。

 

 

私のブログを見て頂くときは、このことを頭に置いておいてもらえるとわかりやすく読めると思います。

ご自身の定義の参考にもしてみて下さい。

 

 

…あ!大事な事を忘れてました!

 

 

不安感について

ひとつ、間違えないでほしい事があります。

克服を目指す方の中には「後遺症を克服すれば不安感がなくなる!」と思われている方もいると思いますが、

多分、不安感は一生ついて回ります。

私は元・当事者ですが、相変わらず不安なことは不安だし、雑談が出来ない時、一回は落ち込みます(その後「しょうがない」と切り替えられますが)

 

なぜか。

 

それは、多くの場面緘黙の方が、生まれつき「不安を持ちやすい気質」を併せ持っているからです。

どんなに自尊心や自己肯定感が回復しても、この気質は一生変わることはありません。

そして、そんな気質も全部ひっくるめて、ありのままの自分を認めること。

それが場面緘黙のゴールに繋がります。

 

 

 

子どもが場面緘黙!親御さんが出来ること3つを紹介します!気づいてくれただけでも本当に有り難い・・・毎日お疲れ様です。

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場面緘黙児の親御さんに向けての記事です。

 

 

自分の子どもが「場面緘黙」で苦しんでいる姿を見たとき、

親としては、「何とかしてあげたい!」と思いますよね。

でも、

場面緘黙なんて今まで聞いたこと無かったし、どうしてあげればいいのか全く分からない・・・

関係する本を読んでみたけど、いまいちやり方がわからない、時間もないし、難しそう・・・

 

そんな方のために、今回は元当事者、そして子を持つ親としての立場から、

「場面緘黙児の親御さんが出来ること」を紹介したいと思います。

あまり肩肘を張らずに見て頂けたら幸いです。

 

 

親が出来ることは、場面緘黙を治す事ではない

まず前提として頭に入れておいて欲しいことは、

親は子どもの場面緘黙を治すことは出来ないということです。

 

どういう事かというと、

場面緘黙を治すのは、親でも先生でも医者でもありません。

話せるようになる特効薬や、魔法なんて物もありません。

克服は、本人の力でしか出来ないのです。

 

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では、親の出来ることは何か。

それは、本人が自力で場面緘黙を治すための「手助け」をしてあげること、です。

 

これがとても重要です。

 

 

親は「場面緘黙を治してあげる」という気持ちではなく、

あくまで、「場面緘黙を治す手伝いをする」、

補佐的な位置にいるという気持ちを持つことが大切です。

 

ぜひ、子どもの力を信じて、手助けをしてあげてください。 

 

 

親が出来る手助けとは

では、実際に「親が出来る手助け」とはどんな物があるのか。

3つほど書きましたので、参考にしてみて下さい。

 

※本格的に克服に乗り出す際に必要となってくるのは「スモールステップ」という方法ですが、今回の話は、そのスモールステップに進む前段階の話になります。

スモールステップの話はこちらから

 

①環境を整える

子どもの環境を整えてあげるというのは、

例えば

 

・先生やクラスの子達に、子どもが「場面緘黙である」ということを伝える

・必要に応じて「特別支援教室」や「療育」といったものも視野に入れる

・子どもが安心して過ごせる場所に行く

 

などです。

この辺りは子どもは自分では出来ませんからね。

 

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あとは、子どもだけではなく、親のメンタルの環境を整えることも大切です。

 

以前SNS上で、

「辛いのは子どもなんだから、私が頑張らないと」

とおっしゃっていた当事者のお母様がいらっしゃいました。

 

常に前を向き、必死に頑張ろうと、自分を鼓舞していらっしゃった方です。

 

しかし私は思うのです。

 

確かに当事者であるお子さんが辛いのはわかります。

しかし、「自分の子が場面緘黙で悩んでいる」ことに気づいてくれた優しい親御さんが、自分の子どもが苦しんでいる姿を見て苦しまないはずが無いのです。

親御さんだって辛いから、子どものために出来ることを必死に探して、このページを探し当ててくれたはずです。

 

だから、どうか、

お子さんを思いやるのと同じくらい、ご自身の体や心も大切にしてください

 

ずっと子どもの側にいなくてもいいんです。

自分が楽しいことをしたりリラックスしたりして、心を整える時間を取って下さい。

自分が休める環境を作って頂きたいのです。

 

親御さんの心にゆとりがある方が、お子さんにとっても良い影響になるはずです。

 

 

②苦手なことは誰にでもあることを教える

場面緘黙は「不安障害」の一種なので、「苦手な事」の一言だけでは済まされないのですが、

お子さんが小さい時には、この考え方は有効です。

 

「数ある苦手なものの内の一つ」という考え方をした方が、

本人や親、周りの子たちにとっても良いと思います。

単純でわかりやすいほうが、理解しやすいからです(小さい内ならなおさら)

 

 

 

誰だって苦手なことの一つや二つ、あります。

 

場面緘黙の子たちは、たまたま「話す事が苦手」だっただけのことなのです。

「泳ぐのが大の苦手」

「高いことことが大の苦手」

「話すのが大の苦手」

ここと同列なのです。

 

「苦手なことは人それぞれ違う。」

「たまたま人と話すことが苦手なだけで、自分だけに苦手がある訳じゃない。」

 

これらのことを、本人に伝えてあげてほしいのです。

 

話せないことは、決して恥ずかしいことではありません。

人間は苦手な事があって当たり前。

苦手なことがあることは恥ずかしいことではない。駄目なことではない。

 

それを教えてあげることが、親御さんが出来る手助けだと思います。 

 

 

私は「自分だけが出来ない」「恥ずかしい」という気持ちを持ち続けてしまったため、劣等感や自己否定の感覚を身につけ、生きにくい性格へとなってしまいました

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子どもも親も、「話す事が苦手な自分(子ども)」を、自分で認めることが大切です。

 

 

③子どもの自尊心・自己肯定感を下げない

自尊心とは、自分の弱さを認め、ありのままの自分を好きになる心です。

「話す事が苦手だけど、苦手なことは人それぞれ違うし、苦手なことがあってもいいんだ。」

と思える心ですね。

(自尊心と自己肯定感は、厳密には違いがあるようですが、当ブログでは同じ意味として書いています) 

 

場面緘黙で一番やっかいなことは、自尊心の低下です。

自尊心が低下すると、

場面緘黙が治り話せるようになったとしても、生きづらさを抱えたまま大人になってしまい、最終的には鬱になってしまう可能性もあります。

 

私がまさにそうでした。 

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親が出来ることの中で1番大切なことが、

この「子どもの自尊心を下げない」ことだと言っても過言ではありません。

 

どうか、話せないことを咎めずに、

子どもの良いところを沢山褒めてあげて下さい。

こんなにも良いところがあるということを、本人に知ってもらって下さい。

 

自分の良いところって、なかなか自分では気づけません。

しかし親に「あなたはこんなことろが素敵だね」と言ってもらえたら、それはとても嬉しい。

「私は話すことは苦手だけど、こういう良いところがあるんだ」と子どもが前向きに考える事が出来たら、万々歳です。

 

自尊心は、本人が場面緘黙を克服する際に、大きな力になってくれます。 

親御さんは是非、自尊心を味方につけてあげる手助けをしてあげてください。

 

 

親は気づいてくれただけでありがたい

色々書いてきましたが、元当事者から一つだけ言わせて頂きます。

 

「場面緘黙に気づいてくれて、本当にありがとう!」

 

SNS上には、親や先生、周りの子達に理解してもらうことが出来ず、辛い緘黙時代を過ごしてきた当事者の方がたくさんいます。

私もその1人です。

 

だからこそ思います。

親が味方になってくれるということは、その子にとって、どんなに心強いことだろう、と。

本当に、気づいてくれてありがとう」と言いたいです。 

 

 

真面目で優しい親御さんは、

「私は親としてここに書いてあること何もしてあげられない」とか、

「親の出来ることはまだ何かあるんじゃないか」とか思ってしまいがちですが、

  

もう本当に、究極の所、「子どもが場面緘黙だ」と言うことを知ってくれただけで、

このブログのタイトル「親御さんが出来ること」を達成してると思ってます私は。

それくらい、場面緘黙は理解されにくい症状なんです。

 

親が理解してくれる。

それだけで子どもにとっては大きな力になります。

 

だから「気づいてくれてありがとう」です。

 

 

そしてもう一言、

「毎日子育て、お疲れ様です!」

 

場面緘黙の子どもは、繊細な心を持つ子が多いです。

こちらが何の気なしに言った言葉でも、深く読み取り、傷ついてしまう子もいることでしょう。

そういった意味では、育てるのが大変だと思います。

 

私は、自分の子ども時代を自分が育てることを想像したら、

「自分の事ながら、なんて傷つきやすくて面倒くさくて、育てにくい子なんだ・・・」と思ってしまいますね(笑)

「育てにくいから悪い」なんてことは一つもありませんが。

 

 

育児は、人を一人育て上げるという、ただでさえ大変な仕事です。

たまには愚痴の一つでもこぼしながら、気長に、気軽に手助けしてあげて下さい。

大丈夫です。

あなたのお子さんは大丈夫です。

なんの根拠も無いですが、大丈夫です。

 

お子さんの味方は「あなた」です。

そして私は「あなた」の味方です。

 

一緒に育児、頑張りましょうね!

 

 

あわせて是非

オススメの本です。

読みやすく、スモールステップについても細かく書かれています。

親子で読むには最適と思いますので、是非参考にしてみて下さい。

 

どうして声が出ないの?

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場面緘黙の後遺症(鬱病)を克服するために行った6つの行動

場面緘黙の後遺症と書きましたが、この時は「鬱状態」でもありました。

後遺症をこじらせた結果の鬱なので、「場面緘黙の後遺症」を「鬱」に変えて読んで頂くことも可能です。

両方の克服に使えます。

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『場面緘黙の後遺症を克服するまで』

場面緘黙の後遺症は、固い殻のようです

 

この殻を破り広い外へ出るために、私は6つの道具を利用しました

①全力で引きこもる

②心理学の本を読み漁る

③部屋の掃除

④気持ちをノートに書きなぐる

⑤メンタリストDaigoの動画を見漁る

⑥嫌な事は徹底的にしない

 

殻は大変固く、破るまでには相当な時間が掛かります

ここが一番辛く、苦しい時間でした

 

それでも半年以上かけて殻を破り、外へ出ることが出来ました

私は初めて、体が軽くなるのを感じたのです

  

 

今回は、私が場面緘黙の後遺症を改善するためにしたこと6つを紹介します。

 

漫画でも描いていますが、後遺症の克服を目指し、殻を破っている時間が一番辛く、苦しいです。

時間も相当掛かりますし、何度もくじけそうになります。

しかしそこを乗り越えることが出来れば、今までにない以上の心の軽さを感じることが出来るはずです。

是非、参考にしてみて下さい。

 

 

 

後遺症克服の定義

話す前に確認しておくことは、

何をもってして「場面緘黙の後遺症が克服された」とするのか、です。

 

これは、共通認識として定まっているものはないのですが、

当サイトでは、後遺症の克服を

「自尊心・自己肯定感が回復したら」と定義づけていますので、頭の隅に置いておいてください。

よろしくお願いします。

 

※自尊心とは、

弱い自分、出来ない自分を全て認め、ありのままの自分を好きになる心のことです。

 

 

場面緘黙の後遺症を克服するために行った6つの行動 

①全力で引きこもる

とにかく全力で引きこもりました。全力です。

「あれをしなきゃ・・・」

「コレをしなきゃ・・・」

「こんなことしてて良いのかな・・・」

こういった雑念は考えません。

とにかく「私は引きこもるんだ!休むんだ!」という強い意志のもと、引きこもりました。

 

私の場合、まず子どもを保育園に預けました。

日中、家から一歩も出ず、近所の人にも会わないようにし、郵便以外はピンポンが鳴っても受け答えはしませんでした。

 

とにかく休むこと。

後遺症の克服には、疲れた心の休養が絶対に大事だと考えたからです。

 

 

結果・・・

不思議なことに、全力で休むと、動きたくなってくるのです。

外の世界との繋がりを絶ち、SNSもお休みしていると、外の世界に行ってもいいかな?と思えてくるのです。

 

私の場合、まず家の事をしたくなりました。

掃除や洗濯といった、家事ですね。

その後、外に出て買い物をしたいと思いました。

 

全力でお休みを頂いたことにより、

少しずつ少しずつ、外へ出て行く力がわいてくるようになりました。

 

※ちなみに、人と話すことだけは苦手意識があり、外へ出るようになってもずっとお休みしていたのですが(無理に人と話さないようにしていた)

この時から1年以上経った今現在、やっと「人と話したい!」とまで思うようになりました。

 

 

 

②心理学の本を(場面緘黙以外の本も)読み漁る

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図書館で借りてきた本です。

これ以外にも、とにかく心理学に関する本を読みました。

場面緘黙の本は少ないかもしれませんが、大きく「心理学」という分類に分けると、膨大な量の本が置いてあります。

題名から「あ、なんだか気になるな・・・」という本があったら、手に取ってみて下さい。 

 

まずは流し読みで構いません。

最初から読まずに、自分の読みたいところだけ読むのでも構いません。

何冊も読んでいると、自分の琴線に触れる本があらわれます。

 

「本」は先人たちの知恵の結晶です。

私たちが感じている気持ちを、わかりやすく端的に言葉に直してくれている、最高の参考書です。

辛い気持ちを持っている方は、是非、本を読むことをオススメします。

 

 

結果・・・

とにかく助けられました。気持ちの代弁、解決法、優しく前向きな言葉。

人間相手だとかかってしまうフィルターも、本を通してだとすんなり自分の中に入ってくるのが分かりました。

 

特に認知行動療法が私には合っていたようで、 本を読みながら自分でも何度も実践していました。

考え方の歪みを直すのに、大変役に立ったと思います。

 

 

③部屋を掃除する

とにかく汚部屋でした。

休み始めた当初は、部屋を片付ける気力もありませんでしたが、

動けるようになってから部屋の掃除を始めました。

 

 

結果・・・

どんなときでも、部屋が綺麗になっていく様は気持ちが良い物です。

特に辛い精神状態の時は、部屋が綺麗になった時の満足感が大きく、久しぶりに「嬉しい」という感覚を味わうことが出来ました。

 

休んでいる間、すぐに動き始めることはありません。

「あ、今日は少し動けそうだな。じゃあ、家の掃除でもしてみようかな」

このくらいの気持ちで始めるのが良いと思います。

「昨日は動けなかったから、今日こそは・・・今日こそは絶対掃除するぞ!」という強い気持ちでする必要はないかなと思います。

 

強い気持ちでするのは、休むことだけです。

 

 

④気持ちをノートに書きなぐる

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ふとした瞬間、辛い気持ちを思いだしてしまうとき、

不安な気持ちになってしまうとき、

ノートに自分の気持ちを書き殴りました。

 

文字通り書き殴っているので、字は汚いです。

人に見せるものでは無いので、自分だけが見れればいいのです。

とにかく思ったことを書きました。

「これが嫌だった」「これがムカついた」「これが悲しい」

素直に思ったことを書いています。お世辞とか、建前とか、一切入りません。

 

そして一通り、愚痴や悪口、辛い気持ちを書き出した後、

ここがポイントで、

「なぜこういう気持ちになったのか」

「どうすればこういう気持ちにならずにすんだのか」

という所を考えて書き出していました。

 

例えば、

「辛い気持ちというのは、何が辛いのか。それは人と話すとき変な間が開いてしまう事が辛い。嫌だと思う。馴染めていない感じがするから。」といった具合に、

自分が辛いと思った理由を書いてみます。

そして、

「馴染めていない感じにならないためにはどうすればいいか。難しい。相づちを多くしてみようか。聞き役に徹してみようか。」

など、「具体的にどうすれば嫌な気持ちにならないか」を自分なりに考えて、書き出すようにしていました。

 

 

結果・・・

書きながら感じた事は、一心不乱に文字を書いていると、

段々気持ちが落ち着いてくるということです。

 

自分の気持ちを書いている内に、心の整理が出来てきます。

文字に直すことにより、頭がすっきりしてくるのです。

 

個人的には、SNSに書き込んだ後のスッキリ感より、

ノートに書き込んだ後のスッキリ感の方が長続きしました。

「誰にも見られない」という方が、本当の自分を出せる&見返しやすいというのも影響しているのかなと思います。

 

 

⑤メンタリストDaiGoの動画を見漁る

部屋を掃除しているとき、YouTubeで偶然見つけたのがメンタリストDaiGoの動画でした。

主に心理学に関する情報を伝えてくれる動画ですが、

とにかく勇気をもらいました。

 

初めて見た動画はとにかく早口で、言うこともけっこう過激で・・・。

しかし、何か引き込まれるものがあり、そのまま聞き続けていました。

 

結局掃除もろくにせず、動画を聞き入っていた私は最後、

自分が涙を流していたことに気づきました。

今までずっと否定されていた私の考え方を、その動画では肯定してくれていたのです。 

 

私が最初に聞いた動画はこちらです

 

このほかにも為になる動画がたくさんありますよ。

検索してみて下さい。

 

メンタリスト DaiGo - YouTube

メンタリストDaiGoの「心理分析してみた!」(メンタリストDaiGo) - ニコニコチャンネル:社会・言論

↑本拠地はYouTubeではなくニコニコ動画なので、詳しく知りたい方はニコニコ動画の方を見てみて下さい。

 

 

結果・・・ 

勇気をもらいました。

感情的ではなく、論理的で根拠に基づく有益な情報を話して下さるので、

とにかく納得できました。

当時の私は、人からのアドバイスという物をあまり信じられなかったのですが、この動画の言っていることは理解が出来たし、自己分析に大いに役立ったと思います。

 

初期の頃の動画はけっこう毒舌も多いのですが、慣れれば聞いていられます。

早口で聞きづらいかもしれませんが、慣れれば聞いていられます。

 

良かったら視聴してみて下さいね。

 

 

⑥嫌だと感じることは徹底的にしない

これは心療内科の先生に言われたことです。

「嫌な事でもしなくちゃいけない、もう大人なんだから・・・でももう出来ないんです・・・頑張れないんです・・・」

そういった私に対して、先生は言いました。

 

「嫌な事はしなくてもいいんじゃない?」

「好きなことしたほうが良いよ」

 

目から鱗でした。

嫌な事も逃げずにしなくちゃいけないと、ずっと思っていたのに、嫌な事はしなくていいだなんて!

 

はじめの頃は信じられませんでした。

嫌な事をしなくていいだなんて・・・本当に?

逃げてるじゃんそんなの・・・。と。

 

しかし、「全力で休む」と決めたときに、

腹をくくって「全力で嫌な事はしない」も実行することにしたのです。

 

 

結果・・・

大成功でした。

自分が嫌だなと思うことをしないようにしてみた所、

みるみる心が回復していくのがわかりました。

今まで重かった周りの空気が、こんなに軽かったんだと気づかされました。

  

 

6つの行動した時の、苦しさの正体とは

6つの行動(漫画では「道具」という表記で書きましたが)は、私を助けてくれたのは確かです。

しかし、実際に行動している時は、とても辛かったと記憶しています。

なぜか。

それは、殻から声が聞こえてくるのです。

 

「ホントに休んでていいの?」

「本には体(てい)の良いこと書いてあるけど、あなたには無理、出来ないよ」

「毎日掃除してれば、こんなに汚れることもなかったのに」

「気持ちをノートに書くって事はさ、嫌な事、思い出すってことだよね」

「この動画の人は成功してるけど、あなたには無理だよ。夢見すぎ」

「いい大人が、嫌な事から逃げるな」

 

これは私自身の、歪んでしまった心の声です。

私が殻を破ろうとすればするほど、この声が強く聞こえてきて、体が動かなくなるのです。

その声に負けずに、体を動かして殻を破ることが、私の人生の中でも上位に入る程の辛さがありました。

 

毎日泣いていました。

 

 

まとめ

それでも、私は諦めたくありませんでした。

殻から聞こえる声に負けて諦めてしまったら、また辛い日々の繰り返しになる。

私にとって、現在のすさまじい一瞬の辛さより、

これから長く続くであろう人生、この先もずっとじわじわと辛さが続いてしまう方が

嫌だったのです。

 

「嫌な事は徹底的にしない」と決めた私。

私はこの生きづらさが、ずっと嫌だった。だから、やめたい。

嫌な事はしない。

そのために、今のこの強烈な辛さを耐えるんだ。

そんな心持ちだったと思います。

 

 

もし、本気で場面緘黙の後遺症を治したいと思っている方がいらっしゃいましたら、

是非とも私の6つの行動を参考にして、自分なりの殻を破る道具を集めてみて下さい。

このほかにも、自分に合った道具が見つかるかもしれません。

 

そして、殻から聞こえてくる歪んだ自分の声に、負けないで下さい。

殻を破ったその先には、絶対に光が、青空が広がっています。

 

 

負けないで下さい。

 

 

あわせて是非

 

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場面緘黙の後遺症とは?「話せるようになったのに生きづらい」4つの原因とは?!

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『場面緘黙の後遺症の一つ』

大人になって声が出なくなることは無くなったが、雑談は苦手なまま。

特に複数人居るときは地獄。

~場面緘黙からコミュ障に進化~

 

周りの人にとっての会話のラリーが

【お遊び☆テニスサークル】「いっくよ~」「そ~れぇ」

こんな感じだとしたら

 

私にはソレがプロテニスプレイヤーの速さで見えている。

※プロの中にド素人が下手に入って流れを止めたくないし、そもそも入るタイミングすらわからない

 

場面緘黙の後遺症は、会話の練習がしたくても出来ない環境の中、体が大人になったからといって急にプロの世界に放り込まれる、

そんな感じなのかなと思いました。

  

みなさん、「場面緘黙の後遺症」をご存じですか?

場面緘黙だった方の中で、この「後遺症」に悩まされている方は少なくありません。

 

場面緘黙は治ったのに、生きづらさを感じる・・・。

話せるようになったのに、大人数や雑談は苦手で不安になる・・・。

 

その症状は、もしかしたら場面緘黙の後遺症かもしれません。

 

そこで今回は、場面緘黙の後遺症についてや、原因について書いていきたいと思います。

 

こんな人にオススメ

・現在、場面緘黙のお子さんをお持ちの方

・現在後遺症の方で、原因を知りたい方

・後遺症について知ることで、予防したい方・克服したい方

 

 

場面緘黙の後遺症とは?

「人前で話せるようになって場面緘黙を克服出来たのに、大人数になると話せなくなる・・・」

「話せるようになりさえすれば、毎日楽しく過ごせると思ったのに、自分がどう思われているか不安になって結局人と関われない・・・」

 

場面緘黙を克服し、日常生活で無理なく話せるようになった方の中には、このような考えを持っている方も数多くいらっしゃいます。

 

・二人なら話せるけど、大人数が苦手

・雑談が出来ない

・人の目が気になり、自分の気持ちを言えない

・言葉が出てくるまでに時間が掛かる

・対人関係が苦手

・人からの評価が気になってしまう

 

等々・・・。

 

場面緘黙が治っても、人間関係に苦手意識をもってしまったり、対人関係による不安から生きづらさを感じている。

これらをまとめて「場面緘黙の後遺症」と呼んでいます。

 

要するに、

「場面緘黙を経験したことにより出てきたしまった二次障害、または生きづらさ」

ということですね。

 

後遺症に悩まされている人はとても多く、

「場面緘黙は、話せるようになったら終わり」とはとても言えない状況であると言えますね。

 

 

場面緘黙の後遺症の4つの原因とは?

場面緘黙の後遺症の原因を4つにまとめてみました。

現在お子さんが場面緘黙である親御さんは、この辺りも注意して見て頂けると、よりお子さんの成長のサポートが出来るかなと思います。

 

①社会性・コミュニケーション能力の欠如

場面緘黙の期間に身につけるはずだった社会性やコミュニケーション能力を、培うことが出来なかった。

原因の一つはこれです。

 

上の漫画が、まさにこの状態を表していますね。

ツイッター上でこの漫画をあげた際、

「わかる」「私も同じ!」といった意見をたくさん頂きました。

 

“場面緘黙が長引くデメリット”でも触れています↓

www.raisemeup.work

   

学校以外でも、安心できる場所(支援級や療育などを通して)で少しずつコミュニケーションの練習が出来るようになるといいですね。

 

②不安になりやすい気質

元々、場面緘黙の方というのは「不安になりやすい気質」を持っています。

話せるようになったからといって、元々の気質が変わるわけではありません。

 

気質についての記事はこちらから↓

www.raisemeup.work

 

コミュニケーションが過不足で、人との関わりが上手くできるかどうかわからない・・・そんな不安感も、次の行動に制限をかけてしまう要素になります。

不安になりやすいことも、原因の一つと言えるでしょう。 

不安との付き合い方を見直していくことが必要になります。 

 

③場面緘黙と併発している不安障害

付随する問題

場面緘黙児のほとんどは、それ以外になんらかの不安に関連した病名を診断されている。

多く見られるのが、社交不安障害、分離不安障害、完全主義的傾向、強迫的傾向などである[1]。

また、病名はないが、特徴的な問題も含めて以下に挙げる。

 

社交不安障害

社交不安障害の子供は、他人からの否定的な評価を恐れ、自分が何かみっともないことを言ったり、したりするのではないかと過度に気を遣う。

具体的には、友達と遊ぶのを避けたり、人前で食べられなかったり、公衆トイレが使えなかったりする。

出典:場面緘黙症 - Wikipedia

 

このように、もし場面緘黙と同時に他の不安障害を併発していた場合、

場面緘黙は治っても、他の不安障害が原因となって、生きづらくなってしまっている可能性があります。

こちらは「場面緘黙の後遺症」とも言えますが、「不安障害」とも言えるので、

場面緘黙が治っているのであれば、

緘黙とは切り離して考えてみることも大事になってきます。

 

 

私自身も、場面緘黙の時に不安障害を併発していました。

気づいた時の衝撃をイラストにしたものがこちらです↓

 

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④自尊心・自己肯定感の欠如

場面緘黙の子の場合、「話す」という行為は毎日のことですから、

ほぼ毎日、”自分は出来ない”という事実と直面することになります。

 

年齢を重ねれば重ねるほど、自己否定の感情が積み重なって、大きくなっていき、

「自分はダメな人間なんだ」という歪んだ考えが根付いてしまいます。

これは大変な問題で、 たとえその後「場面緘黙」から抜けだし、話すことが出来るようになったとしても、 考え方の歪みから「場面緘黙の後遺症」としてその後の人生が生きづらくなってしまう方が後を絶ちません。

 

以前書いた記事の「デメリット③二次障害が起きる」から引用しました。

 

私は、最も重要な原因はこれであると思っています。

場面緘黙の時、「話せない自分」「出来ない自分」がいる場面に多く直面すればするほど、自己否定の感情が芽生え、自尊心・自己肯定感といった感情が育たなくなってしまいます。

 

自尊心とは「良いところも悪いところも、全て含めて自分を受け入れ、尊重出来る心」

です。

 

場面緘黙の後遺症に関わらず、

生きづらさを感じている人は、この『自尊心』が低い人が多いのです。

場面緘黙の影響で低くなってしまった自尊心を高めていくことが、後遺症克服への第一歩となるでしょう。

 

現在お子さんが場面緘黙である親御さんは、自尊心を低くしないような声かけをしてあげることが、後遺症にならないためのキーポイントになります。

 

 

まとめ

場面緘黙の後遺症の原因は、

・社会性・コミュニケーション能力の欠如

・不安になりやすい気質

・場面緘黙と併発している不安障害

・自尊心・自己肯定感の欠如←ここが重要

 

この4つです。

 

場面緘黙の時点で、これらの原因を一つづつ対処していければ、

後遺症にならず、生きづらさを感じなく成長していくことが出来るはずです。

 

場面緘黙の後遺症は、場面緘黙と同様に辛いものです。

後遺症はなまじっか話すことが出来るため、「場面緘黙だった頃より辛い」といった声もあるほどです。

私の場合、場面緘黙は6年、

後遺症はなんと20年弱苦しめられました。

 

 

後遺症は、予防できれば一番なのですが、もしなってしまったとしても克服出来ます(時間は相当掛かりますが)。

自尊心の回復、または下げないことが重要だということを覚えて頂ければ幸いです。

 

克服に関しての記事はまた随時書いていきたいと思います。

 

 

あわせて是非

場面緘黙、場面緘黙の後遺症の定義についての記事です↓

※書き終わり次第追記します 

 

 

「克服」を本気で目指す人向けの記事です↓

www.raisemeup.work

 

 

場面緘黙の後遺症の克服に必要なことを書いた記事↓

※書き終わり次第追記します

 

 

まさか!場面緘黙と高所恐怖症の感覚の類似点とは?!「

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場面緘黙のつらさを説明してみます

「高所恐怖症まで行かなくても、高いところが苦手な人で例えてみよう」いっぱいいるだろうし

 

場面緘黙の辛さというものは、高いところが苦手な人でいうところの

「行ってきまーーす・・・」

こういうこと

 

要は毎日毎日恐怖を感じながら、高いところを通学しているようなものなのです。

そう考えると、もう嫌になってくるでしょ?

「おはよー」

「え、なんで黙ってんの?」

ビュオォォォォ!

 

 

で、そんな思いして必死に登校しているのに、高いところ得意な人が

「あそこ走ってみてよー」

「何でジャンプ出来ないの?」

「歩くの遅ッ!」

「足無いの?」

とか言ってきたら、

 

はらわた煮えくり返るでしょ?

 

そのつらさが場面緘黙でいうところの

「「あ」って言ってみてよー」

「なんで喋らないの?」

「もっと大きな声で言って!」

「口無いの?」

と同じ感覚なのです。

 

はらわた煮えくり返るでしょ?

 

 

 

 

場面緘黙の感覚は、高所恐怖症と似ている?! 

私たちが日常的に、当たり前に行っている「話す」という行為。

あまりにも当たり前すぎて、

「話せない」という感覚は、なかなか理解しにくいですよね。

 

場面緘黙の子たちの感覚をわかりやすく伝えるために、

当事者の方々は「のどに詰め物が詰まった感じ」など、様々な言い方を考えています。

 

私も、何か分かりやすい例えは無いものかと思考を巡らせ、

場面緘黙の感覚を、「高所恐怖症」で例えたマンガを描いてみました。

 

 高所恐怖症までいかなくても、「高いところは苦手だなぁ」という方も多いですよね。

そのため、初めてこのマンガをツイッターに上げた時は、沢山の方から共感を頂けました。

 

 

私自身、当時は自分がどう感じていたかわからず、上手く説明できなかったのですが、

大人になった今思い返してみると、話せなかったあの時の感情は、

「恐怖」でした。

 

いったい何に対して恐怖を感じていたのかわかりませんが、

頭が真っ白になる感覚や、声が出なくなってしまう感じ。

まさしく、高いところが苦手な人が、高いところに登ったときに感じる恐怖と同じだと思ったのです。

 

バンジージャンプから飛び降りるときの恐怖」に例えることも多いです。

 

※これは私自身が感じていた感覚なので、

場面緘黙の方全員がそうであるとは言い難いのですが、

多くの方に共感をして頂いたので、同じ感覚の方もいらっしゃることと思います。

 

 

私のツイッターでの発言まとめ

その時のツイッター上でのやりとりで私が言っていた言葉はこちらです↓

 

 

 

 

 

 

なかなか熱く語っていましたね。

あくまでも「私の場合は」ではありますが、

場面緘黙の方の「感覚」を知る上で参考にして頂けたらと思います。

 

 

最後に 

マンガ内で、「はらわた煮えくり返るでしょ」と書きました。

怒っている顔は、当時放送されていた「ポプテピピック」というアニメのパロディです。

演出というか、あまり悲壮感を出したくなくて、

当事者の方にもクスッと笑ってもらえるようにと思って描いたのですが、

 

「自分は言われた時、はらわた煮えくり返るというより、悲しい気持ちになった」という意見もありました。

 

実際に心ない言葉を言われ、

傷つき悲しんでいる当事者の方も大勢居ることを忘れてはいけないなと思います。

 

 

 

場面緘黙・後遺症の克服において重要なこと3つ!(本気で克服したい人向け)

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結論から言うと、
 
今現在、
場面緘黙や後遺症の克服を目指していく中で重要なのは、
安心できる環境にいることが大前提として、
 
・「自分の力で何とかする」という強い意志
・絶対に無理をしないスモールステップ
 
そして、最も重要なのは、
・「自分の力で何とかする」という気持ちを持ったまま、「人の力を借りること」
 
 
私の経験上、これしかないと思っています。
 
精神科・心療内科で薬をもらうことは、
補助的な意味合いでしかないのです。
場面緘黙を一瞬で治す治療や、魔法なんてありません。
いくら周りの人の支援があっても、本人が自分で動こうとする気が無ければ治りません。
そしてこれは、根性論ではありません。
 
今、辛い最中にいる方は、
動く気力もなく、自分の力を信じられない方もいるかもしれません。
自分で何とかするという言葉に嫌悪感を抱く方もいるかもしれません。
 
そして、そういう方々が今すべきことは、
休むことです。
今はまだ、この記事を読むべき時期ではないと思われます。
とにかく心と体を休め、自分自身を回復させることに専念することが大切です。
 
 
 
今回の話は、
本気で克服を目指し、自分を鼓舞する力を回復させることが出来た方向けです。
 
 

 

 

「自分の力で何とかする」という強い意志

「誰か何とかして!」という心持ちで人に頼るのと、
「自分の力で何とかする!」という心持ちで人に頼るのでは、
その人を見る見方が全く異なります。
 
前者は人に対して不満が出てきます。
「私はこんなに辛いのに、どうしてわかってくれないの?」
「私はこうして欲しいのに、どうしてしてくれないの?」
「私を助けて欲しいのに、どうして力になってくれないの?」
 
後者は人に対して感謝が出てきます。
「私が辛い気持ちを、わかろうとしてくれてありがとう」
「私がしたいことに、協力してくれてありがとう」
「私を助けようとしてくれて、ありがとう」
 
同じことをされても、その人に感じる気持ちは180度違います。
どちらの考え方が、今後自分の人生を生きやすくするか・・・明白ですね。 
 
 

絶対に無理をしないスモールステップ

※ちなみに、私は全くスモールステップを踏んでいません。
これではまさに根性論です。
 
場面緘黙を治したいと思っている方の中に、実際にスモールステップの表を書き込んでみた方はいらっしゃるでしょうか。
 
スモールステップを書くことは、実はハードルが高いことだと思います。
 
なぜなら、スモールステップの表を書き出すには、今現在、自分がどこまで出来るのか・・・つまり、自分の出来ない部分と向き合わなければならないためです。
自分の出来ないところ、人より劣っている所、と向き合うのは、とても辛い行為です。
 
私自身も、自分と向き合うことの怖さはわかります。
ずっと、出来ない自分を認めたくなくて、目を背けて、出来ない自分を隠して隠して、ばれないように生きてきました。
しかし、そうやって目を背けてきた結果、鬱になり、どん底に叩き落とされ、子どもにまで辛い思いをさせてしまいました。
 
自分と向き合う事を逃げた先に待っているのは、どん底です。
一歩先へ進むには、「自分の出来ないを認める」必要があるのです。
 
 
こちらの本は、スモールステップの表の書き込みが出来ます。
具体的でわかりやすく書かれているのでオススメです。
 
どうして声が出ないの?

はやしみこ/かんもくネット 学苑社 2013年09月10日
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「自分の力で何とかする」という気持ちを持ったまま、「人の力を借りること」

「自分の力で何とかする」ことと
「人の力を借りる」ことを同時に行うことは出来ないのでは?
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 
とんでもありません!
 
いかにこの二つを同時に出来るかが、今後場緘黙が治った後、後遺症にならずに済むかがかかっていると言っても過言でありません。
大きなポイントなのです。
 
 
私がこれを実感したのは、
↓この記事の時です。
 
記事には書いていませんでしたが、
この時、私の頭の中にはこのような考えが浮かんでいました。
 
今回の「一回我慢すればいいんじゃないか」作戦の中核は、
「不都合なことは、自分で何とかするしかない」という思いです。
このこと自体は悪いことではないと私は思って居るのですが、 問題はその根底にある、
「どうせ人は、私を助けてくれない」という「諦め」です。
 
どういうことか、少し詳しく書いていきます。
 
 
まず「自分で何とかするしかない」という気持ちは、悪いことではありません。
私が人前で笑顔になることが出来たのも、場面緘黙を克服出来たのも、自分自身が動いた結果であると思っています。
 
 
しかし問題はこの後です。
「どうせ人は、私を助けてくれない」という「諦め」
この考え方が根底に根付いてしまったせいで、私は長年、「場面緘黙の後遺症」に悩まされることとなります。 
 
「自分で何とかしなければならない」なぜならば「人は私を助けてくれない」から
 
 
私は、極端に人に頼ることが出来ない人間になりました。
辛いことがあっても、人に相談も出来ず、一人で抱え込んでしまう。
人は私を助けてくれない、辛いことがあっても、自分で何とかするしかないんだ。
甘え方を知らないのです。
 
  
 
私は、場面緘黙の克服や後遺症の克服についても、
最終的には当事者本人の「自分で何とかしなければならない」という思いは必要になってくると思っています。
しかしそれは、私が小学生のころに感じた、「人への諦め」から来るものではないのです。
 
「人は私を助けてくれない、だから自分でするしかない」というネガティブな感情から来る思いでは、生きづらさが増すばかりです。
「自分で何とかするしかないけど、無理な時は人の力を借りたっていいんだ!」というポジティブな感情からくる思いが、人生が生きやすくなるポイントだと思っています。
 
 
 
ちなみに上記にて、「極端に人に頼ることが出来ない人間になりました」と書きましたが、
今はそんなことありません。
紆余曲折を経て(そのうち書きます)、頼るべきところはしっかり頼れる人間になれました。
どんなに辛いことがあって、考え方や認知の歪みが形成されたとしても、変わることが出来ます。
人は成長出来ます。
 
 

あわせて是非

 
 
 

原因は相手軸?!笑うことを我慢していた場面緘黙時代

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『笑うことを我慢していた場面緘黙時代』
注目される事がとにかく嫌だった
「髪切った-?」
「肌焼けたねー」
↑自分の変化を指摘されるのも嫌
 
特に嫌だったことはコレ
「あー!なっちゃんが笑ってる-!」
えー!本当ー?
「!!?」
 
ふだん無表情の私が笑うと途端に見世物になってしまうので
ピシィィィィ!!
「もっかい笑ってー」「見せてー」「私も見たいー」
 
結果
一人『絶対に笑ってはいけない学校24時』を開催することになる
※心の中では笑っているが、顔に出ないよう我慢してる
 
 

 

一度笑わなくなると、次に笑うにはハードルが上がる

場面緘黙の方の中には、表情を作ることは出来る、という方もいるようです。
しかし私の場合、常に緊張した面持ちで、いつもムスッと無表情。
どんなに面白いことがあっても、決して笑顔を作ろうとしませんでした。
 
「笑顔を作ろうとしない」というのは、
私はあえて笑いを我慢して、笑顔を見せないようにしていた、ということなのです。
 
なぜそんな無意味なことをしていたかというと、理由があります。
 
 
初めは、本当に何も考えられず、「笑う」という行為自体が出来ませんでした。
頭が真っ白になり言葉が出てこなくなると同時に、
表情の筋肉もガチガチに固まって、動かすことが出来なくなってしまうのです。
 
しかし小学校低学年くらいになると、表情筋が固まる現象も少しマシになってきました。
そうすると、ふと、「面白いな」と思うことがあると、顔がゆるむようになってきます。
楽しくて、つい笑ってしまうこともありました。
 
が、ひょんなことでニコリとしてしまったが最後。
周りの子たちは一斉に
珍しい私の笑顔に、興味津津で向かってきます。
 
「あー!なっちゃんが笑ってる-!」
「えー!本当ー?」
「もっかい笑ってー」
「見せてー」
「私も見たいー」
 
一番されたくなかったことは、指摘。
 
見世物にされているようでした。
人に注目されながら何かをするというのは、場面緘黙でなくても緊張してしまう瞬間だと思います。
 
この時間はただただ恐怖でした。 
一度笑えなくなってしまうと、次に笑うというのは、ものすごくハードルが高くなってしまうのです。
 
「今までずっと笑ってなかったのに、今になって笑ったら、みんなに注目されてしまう」
「みんなにどう思われるのだろう」
「また指をさされるのは嫌だ」
「また注目されるのは嫌だ・・・」
 
これは「話す」という行為も同じですね。
一度話せなくなってしまうと、次話した時にどう思われるのだろう。。。という思いが、次に言葉を発するハードルを上げてしまうのです。
 
 

私が笑顔を取り戻したきっかけ

しかし、小学二年生の時、フとあることに気づきます。
「・・・こんなに面白いのに、なんで笑いを耐えているんだろう」
 
元来、面白いことは大好きな私。
楽しいときにわざわざ笑いを我慢することがバカらしく思えたのです。
 
私は考え、一大決心をしました。
 
(みんなに注目されるのは、多分最初の一回だけだ。それさえ我慢して乗り切れば、後は私が笑っても「そういうもんだ」って思って、「笑った」って言われないんじゃないかな)
 
次の日の休み時間、私は先生の話を聞いて笑っている児童たちと一緒に、思い切ってニコニコと、引きつった笑いを浮かべました。
 
「見て-!なっちゃんが笑ってるー!」
 
案の定、近くにいた女の子に指を指され、物珍しさから周りの子達が集まってきます。
私は大勢の人に見られながら(これさえ終われば・・・これさえ乗り切れば、次に笑っても指をさされないんだ・・・)と、強張った笑顔をあえて見せながら、耐えて耐えて、耐え抜いたのです。
 
結果、私の思惑は大成功でした。
次に笑った時はもう、誰も私に対して「笑った!」とは言いません。
 
これには心底ほっとしたのを覚えています。
 
 小学二年生、8歳の頃の話です。
 
 

相手軸で考えていたことが原因

私が笑えなかった原因の一つとして、

「相手にどう思われてしまうのか」を非常に気にしてしまったことが上がります。

 

場面緘黙の方の中には、私の様に”相手軸”で考えてしまう方も多いように思います。

 

今回私が、相手の気持ちより自分の気持ちを優先できたのは、

相手がどう思ったかと、自分が楽しいことで笑えない事の辛さを天秤に掛けたときに、

「笑いたいときに笑えないなんて損だな」と感じたからでしょうか。

 

私は、楽しいことが好きだったのです。笑うことが好きだったのです。

だから他人より自分を優先させることが出来た。

結局、私は自分の好きなことには忠実でいられたのだと思います。