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~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

場面緘黙・後遺症の克服において重要なこと3つ!(本気で克服したい人向け)

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結論から言うと、
 
今現在、
場面緘黙や後遺症の克服を目指していく中で重要なのは、
安心できる環境にいることが大前提として、
 
・「自分の力で何とかする」という強い意志
・絶対に無理をしないスモールステップ
 
そして、最も重要なのは、
・「自分の力で何とかする」という気持ちを持ったまま、「人の力を借りること」
 
 
私の経験上、これしかないと思っています。
 
精神科・心療内科で薬をもらうことは、
補助的な意味合いでしかないのです。
場面緘黙を一瞬で治す治療や、魔法なんてありません。
いくら周りの人の支援があっても、本人が自分で動こうとする気が無ければ治りません。
そしてこれは、根性論ではありません。
 
今、辛い最中にいる方は、
動く気力もなく、自分の力を信じられない方もいるかもしれません。
自分で何とかするという言葉に嫌悪感を抱く方もいるかもしれません。
 
そして、そういう方々が今すべきことは、
休むことです。
今はまだ、この記事を読むべき時期ではないと思われます。
とにかく心と体を休め、自分自身を回復させることに専念することが大切です。
 
 
 
今回の話は、
本気で克服を目指し、自分を鼓舞する力を回復させることが出来た方向けです。
 
 

 

 

「自分の力で何とかする」という強い意志

「誰か何とかして!」という心持ちで人に頼るのと、
「自分の力で何とかする!」という心持ちで人に頼るのでは、
その人を見る見方が全く異なります。
 
前者は人に対して不満が出てきます。
「私はこんなに辛いのに、どうしてわかってくれないの?」
「私はこうして欲しいのに、どうしてしてくれないの?」
「私を助けて欲しいのに、どうして力になってくれないの?」
 
後者は人に対して感謝が出てきます。
「私が辛い気持ちを、わかろうとしてくれてありがとう」
「私がしたいことに、協力してくれてありがとう」
「私を助けようとしてくれて、ありがとう」
 
同じことをされても、その人に感じる気持ちは180度違います。
どちらの考え方が、今後自分の人生を生きやすくするか・・・明白ですね。 
 
 

絶対に無理をしないスモールステップ

※ちなみに、私は全くスモールステップを踏んでいません。
これではまさに根性論です。
 
場面緘黙を治したいと思っている方の中に、実際にスモールステップの表を書き込んでみた方はいらっしゃるでしょうか。
 
スモールステップを書くことは、実はハードルが高いことだと思います。
 
なぜなら、スモールステップの表を書き出すには、今現在、自分がどこまで出来るのか・・・つまり、自分の出来ない部分と向き合わなければならないためです。
自分の出来ないところ、人より劣っている所、と向き合うのは、とても辛い行為です。
 
私自身も、自分と向き合うことの怖さはわかります。
ずっと、出来ない自分を認めたくなくて、目を背けて、出来ない自分を隠して隠して、ばれないように生きてきました。
しかし、そうやって目を背けてきた結果、鬱になり、どん底に叩き落とされ、子どもにまで辛い思いをさせてしまいました。
 
自分と向き合う事を逃げた先に待っているのは、どん底です。
一歩先へ進むには、「自分の出来ないを認める」必要があるのです。
 
 
こちらの本は、スモールステップの表の書き込みが出来ます。
具体的でわかりやすく書かれているのでオススメです。
 
どうして声が出ないの?

はやしみこ/かんもくネット 学苑社 2013年09月10日
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「自分の力で何とかする」という気持ちを持ったまま、「人の力を借りること」

「自分の力で何とかする」ことと
「人の力を借りる」ことを同時に行うことは出来ないのでは?
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 
とんでもありません!
 
いかにこの二つを同時に出来るかが、今後場緘黙が治った後、後遺症にならずに済むかがかかっていると言っても過言でありません。
大きなポイントなのです。
 
 
私がこれを実感したのは、
↓この記事の時です。
 
記事には書いていませんでしたが、
この時、私の頭の中にはこのような考えが浮かんでいました。
 
今回の「一回我慢すればいいんじゃないか」作戦の中核は、
「不都合なことは、自分で何とかするしかない」という思いです。
このこと自体は悪いことではないと私は思って居るのですが、 問題はその根底にある、
「どうせ人は、私を助けてくれない」という「諦め」です。
 
どういうことか、少し詳しく書いていきます。
 
 
まず「自分で何とかするしかない」という気持ちは、悪いことではありません。
私が人前で笑顔になることが出来たのも、場面緘黙を克服出来たのも、自分自身が動いた結果であると思っています。
 
 
しかし問題はこの後です。
「どうせ人は、私を助けてくれない」という「諦め」
この考え方が根底に根付いてしまったせいで、私は長年、「場面緘黙の後遺症」に悩まされることとなります。 
 
「自分で何とかしなければならない」なぜならば「人は私を助けてくれない」から
 
 
私は、極端に人に頼ることが出来ない人間になりました。
辛いことがあっても、人に相談も出来ず、一人で抱え込んでしまう。
人は私を助けてくれない、辛いことがあっても、自分で何とかするしかないんだ。
甘え方を知らないのです。
 
  
 
私は、場面緘黙の克服や後遺症の克服についても、
最終的には当事者本人の「自分で何とかしなければならない」という思いは必要になってくると思っています。
しかしそれは、私が小学生のころに感じた、「人への諦め」から来るものではないのです。
 
「人は私を助けてくれない、だから自分でするしかない」というネガティブな感情から来る思いでは、生きづらさが増すばかりです。
「自分で何とかするしかないけど、無理な時は人の力を借りたっていいんだ!」というポジティブな感情からくる思いが、人生が生きやすくなるポイントだと思っています。
 
 
 
ちなみに上記にて、「極端に人に頼ることが出来ない人間になりました」と書きましたが、
今はそんなことありません。
紆余曲折を経て(そのうち書きます)、頼るべきところはしっかり頼れる人間になれました。
どんなに辛いことがあって、考え方や認知の歪みが形成されたとしても、変わることが出来ます。
人は成長出来ます。
 
 

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