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~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

原因は相手軸?!笑うことを我慢していた場面緘黙時代

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『笑うことを我慢していた場面緘黙時代』
注目される事がとにかく嫌だった
「髪切った-?」
「肌焼けたねー」
↑自分の変化を指摘されるのも嫌
 
特に嫌だったことはコレ
「あー!なっちゃんが笑ってる-!」
えー!本当ー?
「!!?」
 
ふだん無表情の私が笑うと途端に見世物になってしまうので
ピシィィィィ!!
「もっかい笑ってー」「見せてー」「私も見たいー」
 
結果
一人『絶対に笑ってはいけない学校24時』を開催することになる
※心の中では笑っているが、顔に出ないよう我慢してる
 
 

 

一度笑わなくなると、次に笑うにはハードルが上がる

場面緘黙の方の中には、表情を作ることは出来る、という方もいるようです。
しかし私の場合、常に緊張した面持ちで、いつもムスッと無表情。
どんなに面白いことがあっても、決して笑顔を作ろうとしませんでした。
 
「笑顔を作ろうとしない」というのは、
私はあえて笑いを我慢して、笑顔を見せないようにしていた、ということなのです。
 
なぜそんな無意味なことをしていたかというと、理由があります。
 
 
初めは、本当に何も考えられず、「笑う」という行為自体が出来ませんでした。
頭が真っ白になり言葉が出てこなくなると同時に、
表情の筋肉もガチガチに固まって、動かすことが出来なくなってしまうのです。
 
しかし小学校低学年くらいになると、表情筋が固まる現象も少しマシになってきました。
そうすると、ふと、「面白いな」と思うことがあると、顔がゆるむようになってきます。
楽しくて、つい笑ってしまうこともありました。
 
が、ひょんなことでニコリとしてしまったが最後。
周りの子たちは一斉に
珍しい私の笑顔に、興味津津で向かってきます。
 
「あー!なっちゃんが笑ってる-!」
「えー!本当ー?」
「もっかい笑ってー」
「見せてー」
「私も見たいー」
 
一番されたくなかったことは、指摘。
 
見世物にされているようでした。
人に注目されながら何かをするというのは、場面緘黙でなくても緊張してしまう瞬間だと思います。
 
この時間はただただ恐怖でした。 
一度笑えなくなってしまうと、次に笑うというのは、ものすごくハードルが高くなってしまうのです。
 
「今までずっと笑ってなかったのに、今になって笑ったら、みんなに注目されてしまう」
「みんなにどう思われるのだろう」
「また指をさされるのは嫌だ」
「また注目されるのは嫌だ・・・」
 
これは「話す」という行為も同じですね。
一度話せなくなってしまうと、次話した時にどう思われるのだろう。。。という思いが、次に言葉を発するハードルを上げてしまうのです。
 
 

私が笑顔を取り戻したきっかけ

しかし、小学二年生の時、フとあることに気づきます。
「・・・こんなに面白いのに、なんで笑いを耐えているんだろう」
 
元来、面白いことは大好きな私。
楽しいときにわざわざ笑いを我慢することがバカらしく思えたのです。
 
私は考え、一大決心をしました。
 
(みんなに注目されるのは、多分最初の一回だけだ。それさえ我慢して乗り切れば、後は私が笑っても「そういうもんだ」って思って、「笑った」って言われないんじゃないかな)
 
次の日の休み時間、私は先生の話を聞いて笑っている児童たちと一緒に、思い切ってニコニコと、引きつった笑いを浮かべました。
 
「見て-!なっちゃんが笑ってるー!」
 
案の定、近くにいた女の子に指を指され、物珍しさから周りの子達が集まってきます。
私は大勢の人に見られながら(これさえ終われば・・・これさえ乗り切れば、次に笑っても指をさされないんだ・・・)と、強張った笑顔をあえて見せながら、耐えて耐えて、耐え抜いたのです。
 
結果、私の思惑は大成功でした。
次に笑った時はもう、誰も私に対して「笑った!」とは言いません。
 
これには心底ほっとしたのを覚えています。
 
 小学二年生、8歳の頃の話です。
 
 

相手軸で考えていたことが原因

私が笑えなかった原因の一つとして、

「相手にどう思われてしまうのか」を非常に気にしてしまったことが上がります。

 

場面緘黙の方の中には、私の様に”相手軸”で考えてしまう方も多いように思います。

 

今回私が、相手の気持ちより自分の気持ちを優先できたのは、

相手がどう思ったかと、自分が楽しいことで笑えない事の辛さを天秤に掛けたときに、

「笑いたいときに笑えないなんて損だな」と感じたからでしょうか。

 

私は、楽しいことが好きだったのです。笑うことが好きだったのです。

だから他人より自分を優先させることが出来た。

結局、私は自分の好きなことには忠実でいられたのだと思います。