raise me up

~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

場面緘黙は自己否定の連続?「どうして話せないのか、自分でもわからない!」体験談

f:id:buretsu33yume:20190320135832j:plain

 
家ではむちゃくちゃ元気なのに
「ヒャッハー!ここは通さねぇぜ!」
 
一歩外に出ると石のように固まってしまう。
※人見知り、内弁慶のレベルじゃない
 
「どうして話せなくなっちゃうの?」
と聞かれても
 
当の本人が一番わからん
(家では話せるのに、どうして話せなくなるんだ・・・)
頭真っ白。
 
 

 

外へ出ると話せない?自分でも訳がわからない!

場面緘黙で多くの方に見られる症状です。
家では明るく振る舞えるのに、一歩外に出ると途端に話せなくなってしまう。
 
これは、本当に自分でも意味がわかりませんでした。
「どうして話せなくなってしまうの?」と言われても、私が聞きたいくらいです。
(どうして私は話せなくなってしまうの?家ではあんなに話せるのに!)と、いつも思っていました。
 
玄関が境界線という方もいらっしゃいますね。
玄関を一歩出ると、どういう訳か話せなくなる。
 
私もそうで、ある人から
「玄関を出た途端に、まるで戦場にでも行くかのような表情になっていた」
と、大人になってから言われた事があります。
 
言い得て妙だ・・・と納得しました。
 
もしかしたら、
私の「どうして話せなくなってしまうの?」の回答は、
「外は私にとって、戦場だったから」なのかもしれませんね。
 
 

話す事が「出来ない」という経験は、自身をなくす原因に

私は話しかけられると、頭の中がとたんに真っ白になってしまいました(幼稚園の時が特に酷かった)
 
その瞬間は、自分が何をしたいのか、何を考えていたのかもわからないくらい頭の回転が停止してしまい、
何と答えたらいいのかわからなくなってしまうこともありました。
 
では、話したくなかったのかと言われたら、それは違います。
「話したくない」という気持ちは全くありませんでした。
 
むしろ逆で、周りの子と同じように話したくて仕方がなかったのに、
どういう訳か頭が回らず、声も出なかったのです。
 
話したいのに話せない。とてもやっかいな症状です。
 
この話す事が「出来ない」という体験が続いた私は、とたんに自信を失います。
 
 

自己否定する子どもの私:話せないことはネガティブなことだと思っていた

周りの人は私のことを「恥ずかしがり屋」「人見知り」と理解していました。
「この子は人見知りだから、恥ずかしがり屋だから」と、よく言われました。
そのたびに私は嫌な気持ちになりました。
 
「恥ずかしがり屋」「人見知り」という言葉は、外で話せない私への蔑称に聞こえたのです。
 
(私は恥ずかしがり屋じゃない!)
(家で喋れているんだから、喋れない子じゃない!)
 
今思えば、「人見知り」や「恥ずかしがり屋」が『蔑称』に聞こえたのは、
私自身が「話せない」ということに対してネガティブな感情を持っていたのでしょう。
 
自分でも変だと思っていたのですね。
「話せない自分はおかしい」と、子どもながらにそういう結論に至ったのです。
幼少期、すでに自己否定を行ってしまっていたのですね。
 
 

最後に

自分自身の体験談を書いてきましたが、
客観的に経験を見つめ直せるようになったのはごく最近です。
 
当事者の感じる思いは千差万別ですが、
私が感じた思いと同じ部分もあるかもしれません。
 
当事者の気持ちに気づくきっかけになって頂ければ幸いです。
 
 
 
 
 
 

「気づき」と「成功体験」が要!場面緘黙克服の5つのきっかけ

f:id:buretsu33yume:20190911152034p:plain

 

 

特別支援教室に連れて行かれた小学校三年生の二学期
(どうせここでも話せないんだろうなぁ・・・)
 
「いーよって、「良い」とも「いいよ、やらないよ」とも取れるねー」
(・・・・・あれ?もしかしてここの人達は・・・)
 
(私が話せないこと、知らないんじゃない・・・?)
ピシャァァァァ!!!
 
話せないことを知らない=ここでは話しても変に思われない、という気づきにより、
徐々に場面緘黙の症状が緩和されていきました。
 
 

 

学校なんて大嫌いだった

3歳から始まった場面緘黙が6年目を迎えた、小学3年生の2学期。
学校で話すことが出来ない私は、とにかく学校が嫌いでした。
 
場面緘黙の方の中には、話しかけられると嬉しいという方も多いのですが、
私は、話しかけられることに苦痛を感じるタイプでした。
(あくまでも私の場合です。話しかけられて、うまく答えられなかった時の相手の戸惑った顔を見るのが嫌でした)
 
友達もおらず、
朝の会も帰りの会も休み時間も給食も体育も、
座学以外の学校行事は全て嫌いでした。
 
私が話さないことを良いことに、
心無い言葉をぶつけてくる同級生もいました。
 
毎日毎日、ただ時が過ぎるのを待つばかり。
学校へ行っても、ちっとも楽しくないのです。
学校なんて、大嫌いでした。
 
 

ついに、張り詰めていた糸がプツリと切れてしまう

いつにも増して登校の足取りが重かった金曜日の朝。
自分でも、もう完全に遅刻していることがわかりました。
 
学校の門をくぐった先、
みんなが、朝の運動をしています。
 
目の前の光景を見た瞬間、突然、
私の中で、何かがプツリと切れました。
 
「(あ、帰ろう…)」
 
そう思い、学校に背を向け、
足早に家路へと向かいました。
今まで蓄積されていたストレスが、ここにきて一気に吹き出し、耐えられなくなってしまったのです。
 
ここにいたくない
 
その一心で、逃げるように、
学校を後にしました。
 
学校の門を出ようとした直前、
「あ、いた!」
と、年配の女性に声を掛けられました。
 
当時、彼女が何者なのかを知らなかった私は、
訳が分からずにいましたが、
彼女は特別支援教室の先生、T先生でした。
 
 

特別支援教室での「気づき」

T先生に連れられ、
私は特別支援教室へとやってきます。
 
そこには、3年生の私の他に、
2年生の女の子が一人、
6年生の女の子が二人いました。
少人数です。
 
私はこの教室に入った瞬間、
「(あぁ・・・私はここでも、何も話せないんだろうなぁ・・・)」
と感じていました。
全て諦めていました。
 
「場面緘黙」という症状を知らなかった当時の私。
話せないのは、自分が暗い性格だからだ、駄目な奴だからだ、と思っていました。
 
だからきっと、ここでも私は話せない。
どうせ私は話せない・・・と、自分を追い詰めていました。
 
ずっと下を向いたままだんまりだった私。
周りの子達が、気を遣って話しかけてくれますが、
私は固まったまま、抜け殻のようになっていました。
 
 
 
 
 
「何か描く?」
 
しばらくして、T先生が紙を持ってきてくれました。
 
描く・・・
 
少しだけ、心が動きました。
絵を描くことは、嫌いじゃない。
 
私はぼそっと、小さく「いーよ・・・」と呟きます。
それを聞いたT先生は楽しそうに言いました。
「「いーよ」ってさ!どっちにも取れるよね!「やるー!」って意味にも取れるし、「いいよ、やらないよ」って意味にも取れる!面白いよねー!」
他の女の子たちも「ホントだー!」「確かにね!」と、楽しそうに話し始めました。
 
私はその光景を見ながら、あることに気づきます。
(あれ・・・?もしかしてここにいる人達は・・・私が話せないこと、知らないんじゃない・・・?)
 
 

「気づき」と「出来た」という成功体験

私はもう一度、
「いーよ」と言いました。今度は、さっきよりも大きな声が出ました。
「やっぱりどっちの意味にも取れるよね!」
「面白いね!」
ニコニコと笑顔で受け入れてくれるT先生と女の子たち。
 
(やっぱり!みんな、私が話さない子だってこと、知らないんだ!)
 
当時の私にとって、とても衝撃的なことでした。
(私が話さない事を知らないんだ!じゃぁ、私が話しても変には思われない!笑っても、指摘されない!)
 
このことに気づいた私は、もっと大きな声で、笑顔で、「いいよー!」と答えました。
話しても「喋ったー!」とも言われない。
 
普通に接してくれる。
私が笑っても、「笑ったー!」と指をさされない。
この人達は、私が話さない事を知らない。
話せる・・・
私は今、話せている!!
 
場面緘黙という鎧が崩れていきます。
先ほどまでズタボロだった精神が、みるみる回復していくのがわかりました。
 
私が話せないと知らない人達だという「気づき」と、
話しても変に思われないという「気づき」、
 
これにより、
話す事が「出来た」という体験が、
大きな成功体験として強く残っています。
 
私は、特別支援教室の中でだけは、
場面緘黙が発動せず、楽しく人と会話することが出来るようになったのです。
 
 

克服のきっかけとなった5つの大切なこと

自分の事を全く知らない人達のところへ行くと、話す事が出来るという場面緘黙の方もいらっしゃいますが、
私がまさにそうでした。
 
自分=喋らない人というレッテルが貼られていない、
まっさらな状態の場所へ身を置くことで、
症状が改善する場合もあるようです。
 
私の場合は、
クラスから特別支援教室という、
私のことを知らない人達が集まっている教室に移動したことにより症状が改善され、
場面緘黙の克服へと繋げることが出来ました。
 
環境を変えるというのも、方法の一つです。
 
もう少し詳しく掘り下げていくと・・・
「好き」「安心感」「少人数」
が場面緘黙の克服のきっかけになったと書きましたが、
 
今回は
話しても笑っても指摘されない「安心感」
女の子3人とT先生という「少人数」
が当てはまります。
 
さらに言うと、
話しても変に思われないという「気づき」
話す事が出来たという「成功体験」
も、克服のきっかけになったと考えられます。
 
もっと細かく言えば、「絵を描くことは嫌いじゃない」という部分も、
「好き」に当てはまり、初動のきっかけになりました。
 
「好き」「安心感」「少人数」「気づき」「成功体験」
 
私が場面緘黙を克服したきっかけは、子どもの頃に上記の体験をしていたからではないかな、と、思っています。
 
 
関連:

www.raisemeup.work

www.raisemeup.work

 

最後に 

特別支援教室では、家と同じように話す事が出来るようになりましたが、
クラスでは、相変わらず話す事は出来ませんでした。
 
しかし、特別支援教室での成功体験のおかげで、
徐々に場面緘黙の症状が和らいでいきます。
 
クラスに行っても、あいさつもままならない状況でしたが、
ゆっくり、ゆっくり、少しずつ、
受け答えが出来るようになり、
自然な笑顔が出せるようになり、
仲良くなった友達とは、雑談も出来るようになっていきました。
 
今は「大人の場面緘黙」と言われる方も多くいらっしゃいます。
私は運良く、子どものうちに克服することが出来ましたが、大人になればなるほど、克服は難しくなってしまいます。
 
しかし、場面緘黙は「不治の病」ではありません。
 
私の経験から言える事は、
当事者の周りにいらっしゃる方々は、「安心」や「少人数」など、環境を整える配慮を。
当事者本人は、自分の「好き」を見つけ、話しても変に思われないという「気づき※」、そして小さな「成功体験」の積み重ねを。
 
それぞれ行っていくことで、
ゆっくり、
少しずつ、
症状の解消がみられるようになっていくのではないか、ということです。
 
 
※・・・「気づき」って難しくて。
人によって、場面緘黙による「気づけていない何か」は違うし、
自分で心の底から納得していないとわからなかったりします。
うわべだけの言葉で「話しても変に思われないから!大丈夫大丈夫・・・」と自己暗示してみても、上手くいかないことが多いので、本心から気づくことが大切です。実感することが大切です。
とても難しいですが、きっと出来ます。
 
 

あわせて是非

www.raisemeup.work 

www.raisemeup.work

 

 

場面緘黙を気にしない?!克服するための安心感を与えてくれた先生との出会い

f:id:buretsu33yume:20190320135342p:plain

 
5歳ピアノ教室にて
ピアノの先生は、とにかく明るく、いつもニコニコしていた。
「みんなおはよーーー!!」
「おはよーございまーす」
 
「この音は何でしょう!じゃぁなっちゃん!」
「・・・・・・・・・・ド(ボソッ)」
「せーかーーーい!!!!」
「じゃぁこの音は何でしょう!○○くん!」
「ファー」
「せーかーーーい!!!!」
 
私が喋ろうが喋るまいが関係無い態度の先生に、
私は安心感を覚えた。
 
一対一の教室に変更してからは、まるで家で話すのと同じ位話せていた。
「せんせー!おはよー!」
なっちゃん!おはよー!」
 
 

 

5歳から習い始めたピアノ教室

私は5歳から中学2年生までピアノを習っていました。
私自身、ピアノには興味が無く、家で練習を全くせずに通っていました。
おかげで今でもピアノはあまり弾けません。
 
そんな私が、どうして9年間も通っていたかというと、
『ピアノの先生が好きだったから』
これに尽きます。
 
初めてのピアノ教室は、幼稚園の音楽室で行われました。
生徒は6人。
小さなオルガンの前に座り、
先生とお遊びをしながら、ピアノに触れることを目的とした教室です。
 
周りの子達は、おしゃべりをしたりオルガンを弾いたりと、
楽しそうに過ごしています。
一方私はというと、場面緘黙の影響で話すことも出来ず、
ひとりポツンと、オルガンをひたすら見つめるだけの時間を過ごしていました。
 
 

先生の人柄に覚えた「安心感」

 

f:id:buretsu33yume:20190320135431p:plain

 
そんな中、ものすごく元気よく教室に入ってきた女性がいました。
ピアノの先生・M先生です。
M先生はとにかく明るい人でした。
 
私が話さない事なんて何の気にも留めていない。
話さなくても困った顔一つせず、いつも笑顔。
そしてとにかく平等。私にも他の子にも全く態度を変えず接してくれる。
 
私がM先生に対して感じた感情は「安心」です。
この人は私が話そうが話すまいが関係無く、とにかくおもしろくて楽しそう。
いつでも笑顔で、怒っているところを見たことが無い。
M先生と一緒にいるのが・・・楽しい!
 
本物の「コミュニケーション能力が高い人間」というのは、
こういう人のことを言うのだと実感しました。
小学生に上がると同時に、一対一の個別授業になりましたが、
この時には、家にいるときと同じ態度でM先生と話す事が出来ました。
場面緘黙の症状はまったく表れなくなっていたのです。
 
私が初めて家以外で継続的に話せるようになったのは、幼稚園でも小学校でもなく、
M先生の居るピアノ教室でした。
 
 

まとめ

M先生の良かった点は
・話す話さない関係なく接してくれる
・他人と私とで態度を変えない
・いつでも笑顔(感情の起伏が少ない)
とても素晴らしい対応です。
 
M先生は素でこの態度を取っていたのだと思いますが、
場面緘黙の子に対してこのような態度を取れる方は、そうそういらっしゃるものではないのではないでしょうか。
 
ひとえに、M先生の明るさと、高いコミュニケーション能力のたまものです。
M先生のおかげで、私は他人に対して安心感を得ることが出来
外で話せる基盤を作ってもらいました
私がM先生に巡り会えたことは、とても幸運なことです。
 
 

最後に

場面緘黙の克服の中で、「安心」はもっとも重要だと言っても過言ではないでしょう。
それを、他人に感じることが出来たことは、
確実に大きな影響を与えました。
 
他人に安心を感じることは、とても難しいことです。
子供の頃、私の周りには沢山の大人がいましたが、
これほど安心出来た人物は、母とM先生くらいしかいません。
 
加えて、
前回の記事記事で、
・「好き」という気持ち
・少人数であること
が大切だと書きましたが、
今回も当てはまります。
 
○ピアノに興味がないのに、M先生が好きで通い続けた
○6人の生徒(少人数制)→その後先生と一対一の個別授業へと変更
○M先生に安心感を覚えた
 
「好き」「安心」「少人数」
 
私が場面緘黙を克服したきっかけは、この辺りの影響が大きかったように思います。
 
 

あわせて是非

 

好きな事が場面緘黙を凌駕した瞬間!克服のキッカケになった「好き」という気持ち

f:id:buretsu33yume:20190320135136p:plain

 
先生「今日は劇をやりましょう」
「こんにちはー」「こんにちはー」「・・・・・・・」
「・・・・・・」
(楽しそう!!!!!)
「こんにちはーーーーー!!!!」!!!???」
 
 

 

3歳で通っていた幼児教室

私は3歳からの記憶があるのですが、その頃にはもう場面緘黙でした。
原因はわかりません。
物心ついたときから外で話すことが出来ませんでした。
 

原因についての詳しい記事も併せてご覧下さい 

www.raisemeup.work

 

 

当時、とある「幼児教室」に通っていました。
ショッピングモールの中に設置されていた小さな教室で、
女性の先生が1人、生徒は私の他に2人(同い年の男の子と女の子)の3人です。
 
「幼児教室」といっても、お勉強をする訳ではなく、
遊びの中から数字や文字を覚えていこうという雰囲気で、
そこまで窮屈なものではありませんでした。
 
教室に入る前までは母と楽しく会話が出来ていたのですが、
教室に入り、母と離れた途端、一言も喋れなくなり、口を閉ざしてしまいました。
 
毎週毎週一言も喋らず、
厳しい表情で言われたとおりの行動をするだけで、
正直楽しいと思ったことはありませんでした。
 
しかしある日、
 
 

初めて外で味わった『楽しい』という感覚!

f:id:buretsu33yume:20190320135219p:plain

その日は、紙でできた人形劇のようなものをすることになりました。
「私の場合」なのですが、
何かを演じるということにすごく興味を持ったのです。
 
今まで何で遊んでも、のどが詰まって話せなくなる感じが、
人形劇をしている間だけは、
家にいるときのような自然体で遊ぶことができました。
 
まだ帰りたくない、もっと遊びたいと、初めて思ったほど、
『楽しかった』
という記憶として残っています。
 
家以外で「楽しい」という感覚を味わったのは、この時が初めてでした。
 
結局、人形劇で遊んだのはこの一回のみで、
次からはまた、元の緘黙状態に戻ってしまいましたが・・・。
 
しかし、「人形劇楽しい」という感覚は、成長しても私の根底に残っており、
のちに『声優になりたい』という夢に変わり、
高校のときには演劇部に入部し、大勢の人の前で演じる、という経験もしています。
 
私にとって「演じる」という行為は、とても楽しいもので、好きなことだったのです。
 
 

まとめ

人形劇を使って遊んでいたあの時。
『楽しい!』という気持ちが、初めて場面緘黙を凌駕した瞬間でした。
 
(こういうイメージ)

f:id:buretsu33yume:20190320135240p:plain

 
場面緘黙克服の一つとして、『自分が好きなことを見つける』ということは、たいへん重要なことです。
 
場面緘黙ではないけど、おしゃべりは少し苦手・・・という方でも、
「好きのものに関しては熱く語れる!」という方もたくさんいます。
 
何気ない会話より、自分の興味のある分野の方が、
話す事への抵抗が減ります。
私の場合は『演劇』でした。
 
好きなこと、というのは人それぞれ、違います。
「演奏」かもしれない。
「絵を描くこと」かもしれない。
「運動」かもしれない。
「アニメや漫画」かもしれない。
「アイドル」、かもしれない・・・。
 
自分の好きなものとは何か。
何に対して楽しく感じるのか・・・。
 
私が幼くして見つけることができたことは、とても幸運なことです。
 
 

最後に

人形劇で話す事が出来たのは、
3歳という年齢も良かったのだと思います。
 
幼ければ幼いほど、
「今まで話していなかったのに、ここで急に話し出したら恥ずかしい」
という感情が生まれにくいからです。
 
私も、あの時は頭の中が「楽しい」で埋め尽くされていて、
「不安」や「恥ずかしい」といった感情は全くありませんでした。
 
しかし、年齢が大きくなっていても、
「好き」であるという気持ちを持つことは、きっと場面緘黙の克服に繋がります。
 
あと、
少人数だったのも良かった点だと思います。
 
教室には私を含め、3人の子どもと先生しかいませんでした。
幼稚園や学校と比べても、明らかに少人数です。
 
それぞれのきっかけを思い返してみても、
全て少人数の空間での出来事でした。
少なからず、影響しているようにも思います。
 
 
 
 

場面緘黙の支援は「安心」を届けること!様子見で何もしないのはNG!

f:id:buretsu33yume:20190320134545j:plain

 

「場面緘黙のことを相談したら、「様子を見ましょう」って言われたんだけど・・・。
本当にこのまま何もしなくていいの?」
「場面緘黙は、自然に改善されるものではないですよ」
 
「支援を受けずに話せるようになった方もいますが、
それは本人のものすごい努力と、運良くそろった周りの環境があったからこそ。」
「大変な道のりです。」
 
「適切な支援を受け、環境を整えたり、本人の不安を取り除いてあげることが、
とても重要になります」
 
「早い内から適切な支援を受けることが出来れば、
場面緘黙はきっと改善できますよ」
 
 

場面緘黙の支援について

 

 

「様子を見ましょう」で本当にいいの?

場面緘黙の支援に関することでよく言われがちなのは、
「そのうち話せるようになります。様子を見ましょう」
です。
 
「そのうち話せるようになる」というのは、
「場数を踏んでいくうちに、段々話せるようになっていく」
と言うことだと思うのです。
 
しかし、そもそも「話す」という行為が出来ないのだから、
「場数を踏みたくても踏めない状態が場面緘黙
なのです。
 
何の支援も受けることが出来ず、
大人になっても場面緘黙が治らず、今でも苦しんでいる方がいらっしゃいます。
様子を見ていて、必ず治るという保証はどこにもありません。
 
 

支援①「不安」を減らし「安心」を増やすこと

園や学校で話せなくなってしまう場面緘黙の子が多いのは、
たくさんの人がいる場所では、不安が大きくなってしまうからです。
 
場面緘黙の子にとって「不安」は大敵です。
支援の第一歩としてすべきことは、不安をなるべくなくしてあげること。
つまり「安心」を増やしてあげることなのです。
 
そのためには、親と園・学校との連携が不可欠です。
場面緘黙の子が「安心」を得るためには、
周りの方の場面緘黙に関する理解が大事になってきます。
 
ここをクリアすることが、場面緘黙支援の第一歩です。
※ここについては「最後に」でもう一度触れています。
よろしければご覧下さい。
 
 

支援②場面緘黙児の「安心」を増やすためには、先生やクラスメイトにも「安心」を!

「先生やクラスメイトにも安心をって、どういうこと?」
「場面緘黙の子は分かるけど・・・先生や生徒達に不安はないのでは?」
 
場面緘黙の子は、
どうして自分が話すことが出来ないのか分からず、不安を抱える子が大勢います。
が、
 
同じように、『場面緘黙』というものを知らないと、
「この子はどうしては話さないのだろう」と、
周りの人も不安に思ってしまうものなのです。
 
場面緘黙を経験した私にとっても、非常に悲しいことなのですが・・・
話せる人たちから見たら、話せない子というのは、
「何を考えているか分からない、未知の子。」なのです。
 
わからない、未知というのは、人の不安をかき立てます。
 
人間が幽霊を怖がったり、死の不安を感じたりするのは、正体がわからないからです。
場面緘黙児は、自己開示が出来ない故、
「正体が分からない!不安!怖い!」と無意識に感じてしまわれがちです。
 
そのため、
「まさかわざと話さないのでは?」
「何を考えているかわからない」
「何も考えてないんじゃないの?」等、誤解を受け、
 
周りの不安に繋がり、叱られたり、からかわれたり、離れられてしまうのです。
 
この「正体が分からないものに対する不安」の解消法は、「知ること」です。
「場面緘黙」という難しい言葉を使う必要はありません。
「あぁ、あの子はそんな理由があって話せないんだな」と納得が出来る言い方で、
場面緘黙について知ってもらうことが出来れば、
話せない理由を知る=未知ではなくなる=安心
という構図ができあがります。
 
クラスメイトが低年齢のうちなら、なおさら受け止めやすくなるでしょう。
先生やクラスメイトが安心していないと、
場面緘黙の子が安心できる環境にはなりません。
 
「理解」までいかなくても「話すことが難しい子がいる」ということを知るだけでもいいのです。
「わからない」から一歩先へ進むことが、支援の一つでもあるのです。
 
 

支援③「スモールステップ」とは

周りの「環境」、当人を含めた周囲の「安心」が整ったところで、
いよいよ次なる支援に入ります。
 
場面緘黙の支援として取り入れられている方法として、「スモールステップ」と呼ばれるものがあります。
 
 
つまり、
いきなり「富士山登るぞー!」ではなく、
「じゃぁ手始めにそこの砂場の山から登っとこう!」
というように、
 
出来ることから徐々にやっていく。
 
というやりかたです。
場面緘黙の支援ではとても有効とされています。
 
「出来ることから徐々に」というのを聞いて、
「よーし!じゃあまずは簡単なところで、挨拶から!挨拶くらいなら出来るでしょ!」
という方もいらっしゃるかもしれませんが、
それは大変危険です!
 
挨拶は一見簡単そうに見えますが、
場面緘黙の方の多くは、挨拶のハードルが高い場合が多いのです。
 
大切なのは、その子にとって(←ここが本当に重要今できることを見極めること!
ひとえに場面緘黙児と言っても、一人一人出来ることには差があります。
スモールステップを進める際は、その子にとって適切な順番を見極めながら進める必要があります。
 
出来ないことを嘆くより、今できることに目を向けて下さい。
 
スモールステップで徐々に段階を踏んで、出来ることを増やして行けば、
本人の自己肯定感や自信を身につけさせることが出来ます。
この「出来た!」という気持ちがとても大事です。
 
 
 
スモールステップに関してこちらの本が大変参考になります。
具体的に、かつわかりやすく書いてあるため、初めて「場面緘黙」関連の本を読まれる方に特にオススメです。
チャート式になっているのもポイントで、今自分が出来るところはどこなのか、がわかりやすく可視化されます。
 
どうして声が出ないの?

はやしみこ/かんもくネット 学苑社 2013年09月10日
売り上げランキング :
by ヨメレバ
 
 

最後に

場面緘黙の支援について綴って参りましたが、
についての項目での補足を一つ。
 
場面緘黙の子が「安心」を得るためには、
まずは周りの方の場面緘黙に関する理解。これが大事になってきます。
ここをクリアすることが、場面緘黙支援の第一歩です。

 

と書きました。
 
が、
実はけっこう難しい。
ここが、最大の試練だったりします。
 
場面緘黙の支援が受けられなかった方の中には、ここが上手くいっていない方が非常に多いのです。
・親が場面緘黙を知らなかった、または治療に消極的(そのうち話せると思っている等)
・園や学校が場面緘黙についての理解がなかった
・親も園も学校も、当事者でさえ場面緘黙についての知識がなかった
 
このように、場面緘黙はその認知度・理解度ゆえ、
不安を安心に変えられず、周りの環境が整わず、
適切な支援を受けられない方が数多くいます。
 
私も、支援を受けられなかった一人でした。
 
場面緘黙の存在が認知され、整った環境下で過ごせる人達が増えることを願っています。 
 
 
どうして声が出ないの?

はやしみこ/かんもくネット 学苑社 2013年09月10日
売り上げランキング :
by ヨメレバ
 

場面緘黙は、自身を守る呪いの鎧?!緘黙の原因と3つの要因について

f:id:buretsu33yume:20190226143538j:plain

 

 

「どうして場面緘黙になってしまったのかな・・・」
「私のしつけが悪かったのかしら」
「家庭環境のせいだと考えるのは誤解ですよ。」
 
「原因ははっきりしてないんです。」
「一人一人、いろんな要因が複雑に絡み合って発症するので・・・」
「例えば」
 
ぽーん
「わっ」
「わぁぁぁぁっぁぁぁl!!!!!!!」
 
「こんな感じで、同じストレスでもより強く不安を感じてしまうような」
「「不安になりやすい気質」も要因の一つです」
ごめんねっ
 
 
 
 
場面緘黙の原因ははっきりとわかっていません。
複雑な要因が絡み合って、発症するといわれています。
 
場面緘黙の症状に、人それぞれ差異があったように、
発症した要因についても、人それぞれ差異があるようです。
では、その「要因」とは、いったいどのようなものがあるのでしょうか。
 
 

多様な要因

場面緘黙が発症する要因として、以下のようなものがあります。
 
生物学的要因・・・遺伝や気質、発達等の生まれつき要因
心理学的要因・・・不安や苦手意識、ネガティブな心の要因
社会的/文化的要因:生育環境など、周りの環境による要因
 
これらが単体で発症するのではなく、
様々な要因が重なり合って、場面緘黙が発症します。
 
ただ、生物学的要因である『不安になりやすい気質』がベースにある子が多く、
新しい刺激に脳が敏感に反応してしまう「行動抑制的な気質」を持っている、という仮説が現在は有効とのこと。
 
幼少期に「繊細な子」と特徴付けられる子、ということですね。
 
次に、”場面緘黙になるまでの心の働き”についての話をしたいと思います。
 
 

場面緘黙は、自身を守るための呪いの鎧だった

「どどど、どういうこと!?」
「自分を守るための鎧って・・・ちっとも自分を守れてないんですけど!」
おっしゃるとおりなのです。
 
自分を守るための鎧といわれても、
実際ちっとも守られてないし、「話せない」なんて自分にとって不都合なことばかり。
という訳で「呪い」と付けさせてもらいました。
 
この”呪いの鎧”を説明する前に、
ちょこっと心理学のお話。
私たちの心の中には、
不安やストレスから自分自身(自我)が傷つかないよう、無意識に心を守ろう!とする働きがあり、
これを防衛機制といいます。
 
防衛機制・・・というと難しいのですが、要するに
 

f:id:buretsu33yume:20190320134832j:plain

 
こんなイメージですね。
この働きは特別な事ではなく、誰でも起こることで、
 
不安から身を守るための正常な働きです。
 
しかし、場面緘黙に関して言うと、話が変わってきます
『不安になりやすい気質』は、ちょっとした刺激でもかなりのストレスを感じてしまいます。
そのつど防衛機制が働き、自我が傷つかないよう必死に守っているのですが、
あまりにもストレスを感じる頻度が多い、またはあまりにも大きなストレスを感じてしまうと、
防衛機制が”不健全”な形で現れてしまう。
 
この『不健全な防衛機制』のことを、私は『呪いの鎧(場面緘黙)』と表しました。
要するに、こんな感じです↓
 

f:id:buretsu33yume:20190320134920j:plainf:id:buretsu33yume:20190320134959j:plain

 
(くっ・・・数が多すぎる)たくさんの要因
(このままでは大切な自我が傷ついてしまう・・・)
ゴォォォォ!!!
(また来たぁぁ)
(!!!)
 
(かくなる上は!!)
(自我!!コレを着るんだ!!)
(!?)
 
じゃきーーーーん!!
(!!??)

(これで自我が傷つかずに済むぞ!)
(話せない!?動けない!!??)
♪デロデロデロデロデンデデロン♪(呪われたテーマ)
 
 

 
 
私が独自で心理学を勉強し、かみ砕いて絵で表してみると、
場面緘黙になる過程って、こんな感じなのかなぁと思っています。
 
そんなわけで、
不安になりやすい気質
→沢山のストレス(様々な要因・上記参照)
→ストレスから自我を守る為の防衛機制
→ストレスが大きすぎて、”不健全な防衛機制”として働いてしまう(呪いの鎧)
→場面緘黙の発動
↑ここで場面緘黙にならない人もいるので、そういう意味で「場面緘黙の原因は分からない」ということなのかな?
 
心が傷つかないよう必死に守れば守るほど、
場面緘黙の方たちの心を苦しめている…。
皮肉なことです。
 
しかし、私は思うのですが、
RPGでは、呪いのアイテムを身につけても教会に行けば外すことが可能です。
 
場面緘黙も同じで、
呪いの鎧は、「安心」という教会に行けばもしかしたら…
可能性が広がりますね。
 
(「安心」って言葉通りの意味であって本当に教会に行けって意味じゃないですよ!念のため…)
そのことをふまえて、次回は場面緘黙の治療・支援について書いていこうと思います。
 
 

最後に

場面緘黙の方で、「このことが原因で場面緘黙になってしまった」と、心当たりがある方もいれば、
「どうして場面緘黙になってしまったのか、原因がわからない」と、幼すぎて覚えていない方もいるでしょう。
 
ここで、私自身の話を少し。
わたしは一時期、
「どうしてこんなに生きづらくなってしまったんだろう」
「どうして場面緘黙になってしまったんだろう。」
と、原因探しを必死にしていた時期がありました。
 
原因さえ分かれば、どうにか、この報われない人生から救われるんじゃないかと思っていたのです。
 
例えばスピリチュアルなものに頼ってみたり、
例えば宗教の中で意味を見いだそうとしてみたり(入信はしていません)
危うい精神状態でした。
 
しかし、結局のところ、これらのことでは原因をつきとめるには至らなかったのです。
結局その後鬱になり、心療内科や心理学と出会ったことで、
生きづらさの解消への道が開けたのですが、
私の場面緘黙の原因は、今でも分からずじまいです。
 
しかし・・・
「いったい私は何が原因で場面緘黙になったのか・・・」
がわからなくても、
話すことが出来るようになり、生きづらさも少しずつ解消してきているように思います。
 
なので、「どうして私は・・・」を考えて、私のように答えの出ない問答を繰り返すより、
 
「どうすれば私は・・・」を考えた方が、良い方へ好転していく可能性が高い。
と、実感しています。
(このことはまた後日記事で書こうと思っています。
言葉で書くと簡単ですが、
ここに来るまで、正直相当しんどい思いをしました。)
 
 
 

場面緘黙って何?人見知りとは違う?長引くデメリットとは

f:id:buretsu33yume:20190226140351j:plain

 

「学校嫌だなぁ・・・。
家から出るとどういうわけか一言も話せなくなっちゃうし・・・。
もう一ヶ月以上も言葉が喉で詰まってしまう感じになるの・・・。」
 
「あなたは恥ずかしがり屋だもんね。でも家ではおしゃべりしてるじゃない。人見知りはそのうち治るわよ」
 
「ちょっと待った!その症状・・・」
「もしかしたら、場面緘黙かもしれませんよ!」
 
 

場面緘黙かもしれません

「場面緘黙」←こちら、読めますでしょうか?
私は初めて見たとき、”緘”の字で躓いてしまい読めませんでした^^;
 
正解は、”場面緘黙(ばめんかんもく)”と読みます。
 
家では普通に話せるのに、学校などではとたんに話せなくなり、黙り込んでしまう。
それは自分の
・極度の人見知り
・恥ずかしがり屋
・シャイ・内気な性格
・暗い性格
に原因があるからだ・・・。と思っているあなた。
 
そして
「あの子全然喋らない」
「そういえばあの子の声聞いたことないなぁ」
という子どもが周りにいるあなた。
 
あなた(子ども)が話せなくなるのは、もしかしたら「場面緘黙」が原因かもしれません。
 
私自身、この場面緘黙に悩まされた経験者です。
まだまだ認知度が低く、理解されにくい症状であるため、
より多くの方、特に当事者やその周りにいる方々に知って欲しいと思い、今回の記事を書くに至りました。
 
 

人見知りとは違う?場面緘黙とは 

”声が出せない、と言われても、ちょっとよくわからない”
”要するに人見知りでしょ?”
”話せないだけで、生活態度は普通なんでしょ?なら、何も問題無いんじゃない?”
 
と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 
ではみなさん、イメージしてみて下さい。
舞台に上がり、大勢の人が注目する中、スピーチをしなければならない時。
または、複数の面接官を前にしての面接試験の時。
緊張して上手く喋れなくなったり、
動きがぎこちなくなってしまうこと、ありますよね。
 
こういった緊張が他の人より強烈で、
学校など、緊張しなくてもいい場面でも症状が出てしまい、
それが長い間続いてしまう。
 
場面緘黙とは、こういうイメージです。
学校にいる間、ずーっと緊張しっぱなしなんて・・・
考えただけでも、心や体に良くない!って思いますよね。
 
 

場面緘黙が長引くデメリット 

場面緘黙早期発見早期支援がとても大事です。

なぜなら場面緘黙は、放置すればするほど、
心身に支障をきたすデメリットがたくさん襲いかかってくるからです。
 

デメリット①自分の意見が言えない

場面緘黙の子の中には、
授業中、先生に当てられても答えることが出来ない子もいます。
クラスメイトに「どっちがいい?」と聞かれて、頭では選んでいるのに答えられない子もいます。
「ありがとう」「ごめんなさい」が言えず、心を痛めている子も数多くいます。
 
場面緘黙の人は、残念ながら、喋らないから何も考えていないと思われがちですが、そんなことはありません。
むしろ、沢山のことを考えすぎて、上手くまとめられないくらいなのです。
 
自分の意見を言えないというのは、
先生に叱られたり、いじめの原因になる可能性も。
辛い思いをする結果、不登校になってしまう子も少なくありません。
 

デメリット②社会性が育たない

人見知りの方ですと、
時間と共に人や環境にも慣れ、少しずつおしゃべりが出来るようになりますよね。
人と会話が出来るようになれば、交友関係も広がり、社会性も身についていきます。
 
しかし場面緘黙は、話せない状態が長期にわたって続きます。
このままの状態が続くと、他人との関わりがなくなり、社会性が身につく機会を失うことになります
 

デメリット③二次障害が起きる

例えば、
・テストで平均点より下だった。
・運動で足の速い子に抜かされた。
・習い事で、入賞を逃した。
など、周りの子と比べて「自分は出来ていないなぁ、ダメだなぁ」なんて思っちゃうこと、ありますよね。
 
場面緘黙の子の場合、「話す」という行為は毎日のことですから、
ほぼ毎日、”自分は出来ない”という事実と直面することになります。
 
(家では話せるのに、どうして声が出なくなるんだろう。)
(どうして自分は、話せないんだろう)
(他の子と同じように話せない自分は、なんてダメなんだ・・・)
 
年齢を重ねれば重ねるほど、自己否定の感情が積み重なって、大きくなっていき、
「自分はダメな人間なんだ」という歪んだ考えが根付いてしまいます。
 
これは大変な問題で、
たとえその後「場面緘黙」から抜けだし、話すことが出来るようになったとしても、
考え方の歪みから「場面緘黙の後遺症」としてその後の人生が生きづらくなってしまう方が後を絶ちません。
 
 

さらに詳しく

場面緘黙の発症は200~500人に1人と言われています。学校に1人いるかいないか、という確率です。
意外と多い、という印象ですね。
 
発症年齢は2~5歳が主で、女の子の方がやや多いようです。
海外の研究では、不安障害の一種と考えられており、認知行動療法が用いられたりしています。
 
症状の出方は人それぞれで、かなり差異があります。
 
国語の音読のような、言葉が決まっているものなら声を出せる子もいれば、
先生に指されても何も言えず、だまったままの子もいます。
無表情で、全く顔に感情が表れない子もいれば、
いつもニコニコして、遊ぶことが大好き、ただ話すことが出来ない、という子もいます。
声が出せないだけではなく、体も動けなくなってしまう”緘動”という症状が出る方もいます。
家でも全く話せなくなってしまう症状を”全緘黙といいます。
 
 

最後に

多くの場面緘黙の方が、話せないことについて
”言葉が喉に詰まって出てこない感じ”と、表現しております。
 
自分の気持ちを言葉で伝えることが出来ないので、周りから誤解されやすいという難点もありますね。
 
場面緘黙の方達は、そこにいるだけのお人形ではないのです。
意見を言えないことで、
「この子には何を言ってもいい」と思ったり、
「適当にあしらっても問題無い」なんて思わないで下さい。
 
みんな、感情を持った、一人の人間なのです。
話せないけど、笑ったり、泣いたり、怒ったり、傷ついたり・・・誰よりも繊細な心を持っているのです。
 
どうか、一人でも多くの場面緘黙の方達が過ごしやすい環境が増えますように。
 
 
 
 

自己紹介

はじめまして、「なつ」と申します。
 
「raise me up」というブログを開設しました。
自身の「場面緘黙」や「鬱」、「子育てノイローゼ」だった時の経験談を、
イラスト漫画を含めて、書いていきたいと思っています。
 
よろしくお願いします。
 

 

プロフィール 

 f:id:buretsu33yume:20190510101307j:plain

なつ(ブログ管理人)
 
 

ブログをはじめるきっかけ

 

もともと、今までの自分の経験をブログに書いてみたいという気持ちがありました。
というのも、私が今まで過ごしてきた経験としては
 
・場面緘黙という不安障害(3歳~9歳、10歳〜現在は場面緘黙の後遺症があります)
・母との死別(5歳)
・知的障害の妹がいるきょうだい児
特別支援学級通い(小3~小4)
・↑の間、私の将来を憂いた父が暴力で普通クラスへ行かそうとする(機能不全家族
・父が再婚をしたことによりステップファミリーへ(小5)
・中学でいじめ。
・高校大学で自分と向き合うことに恐怖を感じ、自分のことがわからなくなる
・自分と合わないところへ就職、毎日泣きながら通勤する日々
というものがありまして。
 
これらの経験から得たものは、
自尊心・自己肯定感の低さ、愛着障害アダルトチルドレン、自信喪失、自己否定の考え。
総称・”生きづらさ”です。
 
辛い思いを、ずっと心に秘めたままここまで来てしまったので、
ブログで書くことにより、これらの出来事を消化したい、という思いがありました。
 
しかしその後結婚し、妊娠と出産、そして子どもの世話と、日々の生活に追われ、
ブログを書く時間が取れない状況が続いていました。
消化できない想いと、慣れない育児、日々のストレス、今まで自分自身と向き合わなかったツケ・・・。
積もり積もった負の遺産が、私の心のキャパを超えてしまい、
育児ノイローゼからの鬱になってしまいました。
 
今まで辛いことがあっても、一日経てば回復していたのですが、
鬱状態の時は、いくら泣いても、たくさん寝ても、苦しい気持ちが一向に晴れませんでした。
 
子どもにも悪影響が出てしまい、
もうどうしようもなくなり、藁にもすがる思いで、市の発達支援センターに助けを求めました。
発達支援センター経由で心療内科も紹介してもらい、子ども達も保育園に入れ、
とにかく鬱からの回復を目指し、家で1人全力で引きこもりました。
 
その間、心療内科でお世話になったり、
市の発達支援センターで話を聞いてもらったり、
自分で出来る範囲での認知行動療法を行ったり、
たまたま見つけたメンタリストDaiGoの動画を見て勇気をもらったり、
とにかく心の回復に勤めました。
 
その結果、鬱の回復と前向きに生きていく姿勢を手に入れることが出来ました。
現在は心も穏やかになってきており、良い方向を向いてきているなと思っています。
 
落ち着いてまとまった時間がある今なら、
自分の経験をブログで、しかも感情的にならず、客観的に書いていくことが出来るのではないだろうか。
そう思ったことが、このブログを始めるきっかけになりました。
 
 

誰向けのブログか

・場面緘黙について知りたい人
・場面緘黙の症状の例を見たい人
・場面緘黙を治したい人(本人)
・子どもの場面緘黙について知りたい人
鬱病について知りたい・治したい人
育児ノイローゼについて知りたい・治したい人
・生きづらさについて知りたい・治したい人
 
 

最後に

私は場面緘黙の専門家や研究者ではありません。
場面緘黙を知ってもらいたいと活動する啓蒙家でもありません。
 
ブログに書いてあることは、「私の」経験談や解決策が主です。
場面緘黙や鬱の症状は個人差が大きく、同じ対応をしても上手くいくとは限りません。
私のやり方が絶対に正しい訳ではありません。
 
それでも、私の経験から何かヒントを得られる方がいればと思い発信しています。
自分自身、あるいはお子さん本人の個性を見極め、私のブログから良いとこ取りをして活用頂けたら幸いです。
 
どうぞよろしくお願いします。