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~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

場面緘黙は、自身を守る呪いの鎧?!緘黙の原因と3つの要因について

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「どうして場面緘黙になってしまったのかな・・・」
「私のしつけが悪かったのかしら」
「家庭環境のせいだと考えるのは誤解ですよ。」
 
「原因ははっきりしてないんです。」
「一人一人、いろんな要因が複雑に絡み合って発症するので・・・」
「例えば」
 
ぽーん
「わっ」
「わぁぁぁぁっぁぁぁl!!!!!!!」
 
「こんな感じで、同じストレスでもより強く不安を感じてしまうような」
「「不安になりやすい気質」も要因の一つです」
ごめんねっ
 
 
 
 
場面緘黙の原因ははっきりとわかっていません。
複雑な要因が絡み合って、発症するといわれています。
 
場面緘黙の症状に、人それぞれ差異があったように、
発症した要因についても、人それぞれ差異があるようです。
では、その「要因」とは、いったいどのようなものがあるのでしょうか。
 
 

多様な要因

場面緘黙が発症する要因として、以下のようなものがあります。
 
生物学的要因・・・遺伝や気質、発達等の生まれつき要因
心理学的要因・・・不安や苦手意識、ネガティブな心の要因
社会的/文化的要因:生育環境など、周りの環境による要因
 
これらが単体で発症するのではなく、
様々な要因が重なり合って、場面緘黙が発症します。
 
ただ、生物学的要因である『不安になりやすい気質』がベースにある子が多く、
新しい刺激に脳が敏感に反応してしまう「行動抑制的な気質」を持っている、という仮説が現在は有効とのこと。
 
幼少期に「繊細な子」と特徴付けられる子、ということですね。
 
次に、”場面緘黙になるまでの心の働き”についての話をしたいと思います。
 
 

場面緘黙は、自身を守るための呪いの鎧だった

「どどど、どういうこと!?」
「自分を守るための鎧って・・・ちっとも自分を守れてないんですけど!」
おっしゃるとおりなのです。
 
自分を守るための鎧といわれても、
実際ちっとも守られてないし、「話せない」なんて自分にとって不都合なことばかり。
という訳で「呪い」と付けさせてもらいました。
 
この”呪いの鎧”を説明する前に、
ちょこっと心理学のお話。
私たちの心の中には、
不安やストレスから自分自身(自我)が傷つかないよう、無意識に心を守ろう!とする働きがあり、
これを防衛機制といいます。
 
防衛機制・・・というと難しいのですが、要するに
 

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こんなイメージですね。
この働きは特別な事ではなく、誰でも起こることで、
 
不安から身を守るための正常な働きです。
 
しかし、場面緘黙に関して言うと、話が変わってきます
『不安になりやすい気質』は、ちょっとした刺激でもかなりのストレスを感じてしまいます。
そのつど防衛機制が働き、自我が傷つかないよう必死に守っているのですが、
あまりにもストレスを感じる頻度が多い、またはあまりにも大きなストレスを感じてしまうと、
防衛機制が”不健全”な形で現れてしまう。
 
この『不健全な防衛機制』のことを、私は『呪いの鎧(場面緘黙)』と表しました。
要するに、こんな感じです↓
 

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(くっ・・・数が多すぎる)たくさんの要因
(このままでは大切な自我が傷ついてしまう・・・)
ゴォォォォ!!!
(また来たぁぁ)
(!!!)
 
(かくなる上は!!)
(自我!!コレを着るんだ!!)
(!?)
 
じゃきーーーーん!!
(!!??)

(これで自我が傷つかずに済むぞ!)
(話せない!?動けない!!??)
♪デロデロデロデロデンデデロン♪(呪われたテーマ)
 
 

 
 
私が独自で心理学を勉強し、かみ砕いて絵で表してみると、
場面緘黙になる過程って、こんな感じなのかなぁと思っています。
 
そんなわけで、
不安になりやすい気質
→沢山のストレス(様々な要因・上記参照)
→ストレスから自我を守る為の防衛機制
→ストレスが大きすぎて、”不健全な防衛機制”として働いてしまう(呪いの鎧)
→場面緘黙の発動
↑ここで場面緘黙にならない人もいるので、そういう意味で「場面緘黙の原因は分からない」ということなのかな?
 
心が傷つかないよう必死に守れば守るほど、
場面緘黙の方たちの心を苦しめている…。
皮肉なことです。
 
しかし、私は思うのですが、
RPGでは、呪いのアイテムを身につけても教会に行けば外すことが可能です。
 
場面緘黙も同じで、
呪いの鎧は、「安心」という教会に行けばもしかしたら…
可能性が広がりますね。
 
(「安心」って言葉通りの意味であって本当に教会に行けって意味じゃないですよ!念のため…)
そのことをふまえて、次回は場面緘黙の治療・支援について書いていこうと思います。
 
 

最後に

場面緘黙の方で、「このことが原因で場面緘黙になってしまった」と、心当たりがある方もいれば、
「どうして場面緘黙になってしまったのか、原因がわからない」と、幼すぎて覚えていない方もいるでしょう。
 
ここで、私自身の話を少し。
わたしは一時期、
「どうしてこんなに生きづらくなってしまったんだろう」
「どうして場面緘黙になってしまったんだろう。」
と、原因探しを必死にしていた時期がありました。
 
原因さえ分かれば、どうにか、この報われない人生から救われるんじゃないかと思っていたのです。
 
例えばスピリチュアルなものに頼ってみたり、
例えば宗教の中で意味を見いだそうとしてみたり(入信はしていません)
危うい精神状態でした。
 
しかし、結局のところ、これらのことでは原因をつきとめるには至らなかったのです。
結局その後鬱になり、心療内科や心理学と出会ったことで、
生きづらさの解消への道が開けたのですが、
私の場面緘黙の原因は、今でも分からずじまいです。
 
しかし・・・
「いったい私は何が原因で場面緘黙になったのか・・・」
がわからなくても、
話すことが出来るようになり、生きづらさも少しずつ解消してきているように思います。
 
なので、「どうして私は・・・」を考えて、私のように答えの出ない問答を繰り返すより、
 
「どうすれば私は・・・」を考えた方が、良い方へ好転していく可能性が高い。
と、実感しています。
(このことはまた後日記事で書こうと思っています。
言葉で書くと簡単ですが、
ここに来るまで、正直相当しんどい思いをしました。)