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~場面緘黙(ばめんかんもく)の経験と克服の記録~

場面緘黙は自己否定の連続?「どうして話せないのか、自分でもわからない!」体験談

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家ではむちゃくちゃ元気なのに
「ヒャッハー!ここは通さねぇぜ!」
 
一歩外に出ると石のように固まってしまう。
※人見知り、内弁慶のレベルじゃない
 
「どうして話せなくなっちゃうの?」
と聞かれても
 
当の本人が一番わからん
(家では話せるのに、どうして話せなくなるんだ・・・)
頭真っ白。
 
 

 

外へ出ると話せない?自分でも訳がわからない!

場面緘黙で多くの方に見られる症状です。
家では明るく振る舞えるのに、一歩外に出ると途端に話せなくなってしまう。
 
これは、本当に自分でも意味がわかりませんでした。
「どうして話せなくなってしまうの?」と言われても、私が聞きたいくらいです。
(どうして私は話せなくなってしまうの?家ではあんなに話せるのに!)と、いつも思っていました。
 
玄関が境界線という方もいらっしゃいますね。
玄関を一歩出ると、どういう訳か話せなくなる。
 
私もそうで、ある人から
「玄関を出た途端に、まるで戦場にでも行くかのような表情になっていた」
と、大人になってから言われた事があります。
 
言い得て妙だ・・・と納得しました。
 
もしかしたら、
私の「どうして話せなくなってしまうの?」の回答は、
「外は私にとって、戦場だったから」なのかもしれませんね。
 
 

話す事が「出来ない」という経験は、自身をなくす原因に

私は話しかけられると、頭の中がとたんに真っ白になってしまいました(幼稚園の時が特に酷かった)
 
その瞬間は、自分が何をしたいのか、何を考えていたのかもわからないくらい頭の回転が停止してしまい、
何と答えたらいいのかわからなくなってしまうこともありました。
 
では、話したくなかったのかと言われたら、それは違います。
「話したくない」という気持ちは全くありませんでした。
 
むしろ逆で、周りの子と同じように話したくて仕方がなかったのに、
どういう訳か頭が回らず、声も出なかったのです。
 
話したいのに話せない。とてもやっかいな症状です。
 
この話す事が「出来ない」という体験が続いた私は、とたんに自信を失います。
 
 

自己否定する子どもの私:話せないことはネガティブなことだと思っていた

周りの人は私のことを「恥ずかしがり屋」「人見知り」と理解していました。
「この子は人見知りだから、恥ずかしがり屋だから」と、よく言われました。
そのたびに私は嫌な気持ちになりました。
 
「恥ずかしがり屋」「人見知り」という言葉は、外で話せない私への蔑称に聞こえたのです。
 
(私は恥ずかしがり屋じゃない!)
(家で喋れているんだから、喋れない子じゃない!)
 
今思えば、「人見知り」や「恥ずかしがり屋」が『蔑称』に聞こえたのは、
私自身が「話せない」ということに対してネガティブな感情を持っていたのでしょう。
 
自分でも変だと思っていたのですね。
「話せない自分はおかしい」と、子どもながらにそういう結論に至ったのです。
幼少期、すでに自己否定を行ってしまっていたのですね。
 
 

最後に

自分自身の体験談を書いてきましたが、
客観的に経験を見つめ直せるようになったのはごく最近です。
 
当事者の感じる思いは千差万別ですが、
私が感じた思いと同じ部分もあるかもしれません。
 
当事者の気持ちに気づくきっかけになって頂ければ幸いです。